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「私たちは妥協した」 スーチー氏,自分抜きでの交渉がありうると話す
1999年6月11日配信 「アジアウィーク」 99年6月11日号

  人々は、ミャンマー軍事政権と野党・国民民主連盟(NLD)との現実的な話し合いを何年も待ち続けている。軍政首脳は,党指導者アウンサンスーチー氏以外ならばNLDの誰とでも会うことを約束した。NLD側はスーチー氏の出席を強く要請した。交渉は始まらない。が,最近になって初めて,スーチー氏は他のNLD幹部に軍政首脳との会談を始めさせてもよいとする姿勢を見せている。アジアウィーク特派員ロジャー・ミットンとヤンゴンで会見したスーチー氏は、自身と党の将来について語った。[注:Webへの転載にあたっては、見やすいように段落分けを行いました。]

昨日は、NLDが圧勝した1990年の選挙の9周年の日でした。以前と比べてNLDの状況はいかがですか。
「選挙が行われた時、私は軟禁下にあったため、立ち会うことはできませんでした。ですから、私は、90年当時と今とを正確には比較できません。が、私が軟禁される前との比較はできます。つまり、1989年です。1989年当時、党にはより多くの制限が課されていました。その間、多くの党員が逮捕され、党の優れた人物で現在も服役中の者もいます。一部は解放されはじめました。恩赦のようなものによってではありません。刑期を終え、自由のために筋を曲げなければなりませんでした。
  その自由とは、ビルマでの自由といういう意味と、本当の自由の両面を含みます。党はよりたくましくなったと思います。それも、かなりです。多くの党員が脱党させられ、明らかに規模は小さくなってはいますが、離党しなければ、刑務所に入れられるのです。しかし、私はそうであるからこそ、よりたくましくなっているという風に思うのです。より強い絆です。そうでなければならないのです」

あなたは、今年4月の人権についてのメッセージの中で、昨年から、それまでの7、8年前以上の厳しさに直面していると語っていますが。
「はい。というのも、政府は昨年1年間、党を殲滅させようと本当に真剣になり始めました。これは、ここ2・3年の彼らのスローガンになっていたと思われます。『殲滅』がです」

殲滅? それは彼らの使う言葉ですか?
「彼らが実際に使っている言葉です。彼らは『殲滅する』いう言葉を使っています。その後、粉砕と変えたようです。おそらく国際社会の一部からいささかの批判があったからでしょう」

あなたに対する軍政の行為は、犯罪行為に等しいとあなたはおっしゃいましたが。
「犯罪行為です。なぜならば、彼らがやっていることは法を犯しています。法的に言えば、彼らがしたことのいくつかは、犯罪です。だから、犯罪行為なのです」

しかし、そうだとしても、それに対してあなたができることはない?
「この国では法律は守られていないのです。ですから、犯罪的な行為は、彼らにとって特に問題はないのです。もちろん、国民にとっては大きな問題なのですが」

昨年の5月27日、NLDは会議を開き、国会を召集する意向を発表しました。あれは相当ドラマティックな動きだったと思いますが。
「いいえ、そのようではありません。私たちは昨年、国会召集の意図を表明したのではありません。そうではなかったのです。しかし、会議で採用された決定の一つは、私たちは軍政に対して、然るべき日までに国会を召集するよう求めるべきということでした」

あなた方はその後、軍政が国会を召集する期限を8月21日と定めました。
「国会が然るべき日までに召集されるべきということを軍政に伝えるべきだということが、会議の決定だったのです」

もし、彼らがその日までに国会を召集しなければ?
「私たちはそのことについて話し合いました。会議に参加した党代表たちは、私たちに代案があるかということを知りたがっていました。私たちは今のところないと答えました。というのも、私たちの決定は、国会召集の要請を軍政に伝えるべきだというものだったからです。しかし一方で、私たちは代案を立てなければならないことも決めました。なぜなら、軍政が期限を守らなかった時、別の行動を取らなければならなかったからです」

その時、軍政による召集なしで、あなた方自前の、国会を代表する委員会を組織するということを決めたのですか。
「国会を代表する委員会。そうです。しかし、私たちは一つずつ進んでいきました。軍政は8月21日までに国会を召集しなかった。それで、私たちの党は、それなら自分たちで国会を召集すると表明したのです。そして、軍政は私たちの国会議員を逮捕し始めたのです。そこで、私たちは国会を代表する委員会を組織すると決定したのです」

そして、昨年は相当ドラマティックな夏になりましたね。
「と言っても、一歩一歩です。もしこれらの事が一緒に起これば、非常に大きなドラマになると思います。しかし、実際に起こったのはそういう風ではないのです。その時々に一つの事だけが起こったのです」

特にあなたが地方に向おうとした時、海外の報道機関の注目を集めました。
「はい。しかし、それは別々に起きたのです。すべては、昨年の5月から9月までの間に、散発的に起きたのです。5月、6月、7月、8月、9月と。5カ月の間に起こったのです。5カ月間に起こった事を一からめにしてしまえば、非常に劇的に見えます。が、一つ一つ見ていけば、私たちが非常にゆっくりと行動した事が分かるでしょう」

昨日、これまでの動きの始まりであった軍政への国会召集の要求を決めた会議から1年が経ちました。党の会議はその後開かれましたが、あれに相当するほどの動きは取っておられないですね。
「ええ、第一段階としてこれ以上のことは必要ありません。私たちは、すでに第一段階から第二段階に踏み込んでいます。第二段階とは、国会を代表する委員会を設置する事です。その次の段階は、その委員会の活動を進めていくことです。それが、論理的に言って次の段階というものです。ずっと第一段階に留まるわけはいきません。それでは意味がありません」

しかし、多くの人は、あなたが、党を勢いづけるために、今年5月27日何らかの劇的な行動を取ると感じています。
「人々は常にドラマを求めるのです。特にジャーナリストはそうだと思います。彼らは、書くためにいつも劇的なものを求めています。それが、昨年の5月私たちのした事が非常にドラマチックであったとする、あなたの見方に同意できない理由です。全く違うのです。あなた方は、5カ月の出来事を1日で起きたようにしています。だからこそ、非常に劇的に見えるのです」

この夏、特に際立った行動はないのでしょうか。たとえ散発的であったとしても。
「際立った行動とは、何が言いたいのか分かりません。というのは、昨年の夏に私たちがした事は、一歩一歩進んだのです。そして、今後も一歩一歩進めていくつもりです」

際立った行動、例えば地方に行くなどということです。
「地方に行くというのは、国会召集の要求と関係がありませんでした。軍政がNLDの国会議員を逮捕しはじめたからです」

地方に行くというあの行動で、あなたとNLDは世界のメディアの注目を浴びました。
「あの件は人々を驚かせたかも知れませんが、私たちは、注目を集めるために活動するわけではないのです。私たちは政治目的のためになると思う事をするのです。それだけです」

たとえば、地方に行くというような、軍政から強い反発を起こす可能性のあることを、現時点で、今年は計画されていないのでしょうか。
「昨年、思い出していただきたいのですが、地方に行こうとした最初の2回は、密かに決めた事でした。軍政の反発を誘うようなつもりでやっていたのでもありません。軍政は一般市民に対するやり方で応じることを決めました。普通のやり方でした。3回目の時だけは、その時軍政側は、ドラマを作りたいと決めたのです。私たちが、ドラマを作ったのではありません。
  当初から申し上げたとおり、私たちは注目を集めるため、ドラマを作るために行動しません。私たちは、党と支持者にとって政治的に利益になると考えることをしているのです」

繰り返しになりますが、人々はあなたとあなたの党が昨年の夏のように劇的な何かをするべきだと期待していましたが。
「何をするつもりか、前もって申し上げることはしません。それを知ろうとするのは無意味でしょう」

しかし、記念日である昨日5月27日に何も起こらなかったことで、人々は落胆したようですが。
「それは人々がどれだけ政治的であるかに関わります。国会を代表する委員会の声明を勉強していれば、私たちが昨年9月以来やってきたよりも、非常に大きな進歩があったことが分かるでしょう。というのも、私たちは、憲法草案の作成、各民族との和解について、進めているからです。人々は実際の政策には興味ありません。劇的な出来事を望んでいるだけです」

国民はまだあなたの側に付いていると信じておられますか。

「ええ、今までで最大です。3年前に私たちが言っていた以上により多くの支持を得ていると思います。3年前、政府の経済政策はおそらくある程度の成果を出し、国は経済的に改善するだろうと考える人たちがいました。しかし、昨年、いや1997年は、経済にとって本当に危機的な年でした。状況は悪い方向に向っていることは、1997年の終わりに近づくにつれて明らかになりました。そして、昨年はより明白になりました。そのため、3年前以上に私たちが支持されているのです。
  経済的に見れば、軍政にとって最高の年は、1993年から1996年の間でした。というのも、当時、国民は大きな景気の波が押し寄せていると信じていたからです」

経済的不満からあなたへの支持を推定しているのですか。
「いいえ、そうではありません。国民は現軍政に不満なので、私たちを支持していると思います。それはどこの国でも普通のことだと思います。国民は現職者を好きでないから反対派を支持します。それが、経済的理由なのか、政治的理由なのか、社会的理由なのか、常に同じではありません。しかし、今のビルマでは基本的に政治的理由と経済的理由のためです。が、ここ数年の支持の拡大は、経済的理由のためだと思います」

国民からの支持をどうやって測るのでしょうか。党員からのものは別として。
「一般大衆が当局に対してどれほど協力的かということです。そして、彼らがこの軍政をどれほど好きか嫌いかについてです。そうやって、軍政への支持、不支持を測ることができるということです。この国の状況を研究した人なら誰でも、一般大衆が軍政に対して全く協力的でないことを知るでしょう。人々はしぶしぶと足を引き摺りながら、課されたことに何とか付いていっているのです。しかし、この軍政の政策に対して熱心な人など全くいないでしょう」

アジット・シン前アセアン事務総長は昨夜、軍政側のデビッド・エーベル准将と同席していた席で私に、なぜアジアウィークはあなたとあなたの党が支持を失っていることについて、もっと書かないのかと尋ねました。
「なぜ、彼がそんなことを言っているのでしょう。彼は明らかにあなたにそう書かせたいからです。実際に、アジアウィークや他のアジアの雑誌は、そのような見方を採ってきました。彼らはこの見方を強調したいのでしょう。アセアンの国がそういう見方をすることは別に驚くことでもありません」

もし明日、選挙がもう一度行われたら、1990年の時のように、圧勝しますか。
「絶対に。おそらく前回以上に」

あの時はあの時、今は今という人もいますが。
「一つだけ言います。もし選挙が自由で公正であれば、の条件付きです。もし明日選挙があれば、それが自由かつ公正に行われるとは思いません。なぜなら軍政は、前回の選挙で手痛い教訓を得ているからです。もし明日選挙が行われれば、軍政側は自分たちが勝たせたい人だけが勝つように、念入りに選挙を仕組むでしょう。彼らが自由で公正な選挙を許すとは思いません。1990年の時、見通しを大きく誤ったからです」

選挙に勝つとしたら、NLDゆえにではなく、あなたのおかげで勝つと言う人がいます。あなたの名前、つまり、あなたの父親・国民の英雄アウンサンの名前ゆえに、勝つと。
「前回の選挙でもそう言われました。多くの人が、前回の選挙はNLDゆえにというよりも、私ゆえに勝ったと言います。しかし、それはひとつの見解です」

あなたがいなければ党には何もないとも言っています。
「それは正しいとは思いません。私は党なしではやっていけません。結局、私は党がなければ活動できないのです。私の父の名前が今でもビルマで大きな意味があるがゆえに、私が党にいるということは党にとって役に立っています」

かなり無茶苦茶な漫画が毎日「ニューライト・オブ・ミャンマー」[注:New Light of Myanmar; 国営日刊紙のひとつ]に掲載されていますが、気になりませんか。
「いいえ、あれにはもう慣れました。もう1、2年経ちます。長い間です。私たちはまるっきり慣れてしまいました。掲載されなければ、かえって驚くでしょう。実のところ、あれは私たちの大きな財産の一つです。見苦しい漫画が人々を反軍政に向わせているからです。普通の人々や特に政治に関わらないビジネスをしているビルマ人や民主化運動のようなものに熱心だとは思えない人から、そういう声を聞いています。彼らは、自分のビジネスがうまくいく限り、軍政に対して特に反対してこなかった人たちです。
  しかし、あの漫画と、それはそれはひどい記事が国営メディアに登場してから、こういう人たちの中にもうんざりしている人がいると聞いています。そして、彼らは軍政がいかに常軌を逸しているかをあの事がよく表わしていると考え始めました。漫画の見苦しさは軍政の見苦しさを表わしています。知能の低いやり方と言ってもいいでしょう」

昨日から今日にかけてヤンゴンで開催されたASEAN会議で、キンニュン中将が基調演説を行いました。「ミャンマーは、国家の平和と安定、繁栄を保障する政治的に正しい道の途上にある」と彼は言いました。
「その発言は繁栄に寄与しないですね。その発言に対して私は全く同意しません。そう言っておきましょう」

状況はビルマ社会主義計画党(BSPP)の時代、すなわちネウィン政権の1962年から1988年の時よりも、悪くなっていると、かつておっしゃいましたね。
「はい、国民の多くがその意見に同意すると思います。一部の人たちにとってのみ、今が良くなったのです。一部の人たちだけが手にすることのできる経済チャンスで、彼らは非常に金持ちになったのです。が、全体としてはビルマはより一層悪くなりました。電力不足を見てください。BSPP時代にはこれ程ひどくはありませんでした。現在、電力の不足は本当にひどいものです。
  一部では、水の不足もあると思います。というのは、街の中心部も含めて多くの場所で、市民は水を1階から上の階にくみ上げるのに電気を使っています。電気が来ないということは、水も来ないのです。ですから、もし電気が夜の12時にだけ来るならば、水をくみ上げるために12時に起きなければならないのです。
  学校と病院の状況を見てください。BSPP時代よりももっと悪くなっています。BSPP時代、病院に薬がないという不満はなかったと思います。また、器具がないという不満も。確かに、精密器具は不足し、必要不可欠な薬がすべてあったわけではありません。が、状況は今よりはずっと良かった。しかし、今は病院に何もないのです。学校も同様です。BSPP時代の学校は十分ではありませんでしたが、しかし、今は教科書のような基本的なものさえないのです。いくつかの学校では、素晴らしいコンピューター・ショールームをつくり、デモンストレーション以外の時は、鍵をかけているのですが。
  だから、私たちはより悪くなっていると言えるのです。民主化側でも軍政側でもないユニセフのような機関が出す統計をご覧になれば、全く学校に行っていない人たちの割合が増えていることが分かるでしょう。小学校を中退する割合も増えています」

1980年代にビルマに来た人たちは、道は穴ぼこだらけで、チェックインする時はろうそくを使うような近代的ホテルがヤンゴンに一つだけあったなどと言っています。一方で、今は道路も良く、たくさんの車があり、ホテルもたくさんあります。
「申し上げたとおり、一部の人には良くなったのです。特権のある人たちにとって良くなったのです。が、何人のビルマ人がそのホテルを使うのでしょうか。何人のビルマ人が海外旅行休暇から飛行機で帰ってくるというのでしょうか。それをできる人たちにとって、そう、良くなったのです」

ある人が私にこう言いました。軍人さえ電力不足や経済的困難に苦しんでいる。彼らは儲けているのではないと。
「それは、ポスト次第です。あなたがかなり下級の役人としても、うまいポストを得られれば、例えば、大金をつくれるポスト、賄賂が入り易いポスト、生計を管理するポストにいれば、大変な金持ちになれるのです。しかし、賄賂が入らない高級役人は、金持ちにならないでしょう。もちろん下級役人やヒラ職員は金持ちではありません」

彼らは金持ちではないかもしれない。しかし、若い役人からの抗議や不満の兆候はないと誰もが思っていますが。
「不満についてはいつも噂があります。なぜなら、軍人は貧しいからです。兵卒は貧しいのです。食べ物も十分ではありません。軍人の家族が、兵舎のある地域で、露店や駄菓子屋を営んでいるのをあなたもご覧になることと思います。夫の収入では十分ではないからです。至る所に見ることができるでしょう」

ビジネスマンはチャット経済は大変うまく行っており、年3-4%成長していて、うまく行かないのはドル経済だけだ、と私に言っています。
「うまく行っているチャット経済とは、何のことを言っているのでしょうか」

購買や商売などのためにはチャットが使われることです。しかし輸入や国家プロジェクトなど外貨を使う必要がある場合、外貨が不足している。それが元凶になっているということです。
「はい、しかしうまくいっている経済とはどういう意味でしょうか。もちろん、私たちはあなたがおっしゃるようにチャットで買物します。ずっと続いていることです。しかし、インフレ率につれて、ビジネスは落ち込んでいます。普通の屋台やレストラン、食堂などチャットで払う所では、客が少なくなっていると思います」

田舎の方でさえも?
「田舎の方でさえも、同様です。しかし、もちろん、田舎の方では、都市部にあるように多くの会社が興っていませんから。田舎の方では、主に農民がおり、農業経済は全くうまく行っていません。例えば最近、今年は早く4月には雨季が始まったために、落花生の出来が非常に悪いと聞かされました。それは落花生を裁培する農民にとって深刻です。そして、それはピーナッツ油の値段が上がることを意味します」

経済の不調が政治変化を導くと考える人はまだほとんどいませんが。そういう人たちは、これまでの40年のように人々は困難にあえぐままだと考えています。
「そのようにはっきり言われる時、私はいつも驚きます。1988年に起こった事実を考えてみれば、それは全く経済的理由で起きたのです」

チャット紙幣の一部の廃貨が民主化運動の原因になったのですね。
「はい、しかしそれは経済的に国民に打撃を与えたのです。チャット紙幣の一部の廃貨という事実が、革命を引き起こしたわけではないのです。1988年の1年近く前に、廃貨がありました。一方で、国民はますます貧しくなっていったのです。経済的困難はますますひどくなっていました。経済的困難が絶頂に達したのです。経済的理由は、常に政治的革命にとって明らかに大きな役割を演じてきたと思います」

それがあなたの求めるものですか? 政治的革命が?
「私たちは、単に政治的手段を通じた政治的革命を求めています。それは、政治を通じて私たちが行っていることであり、また、政府が私たちに行わせまいとしていることでもあります。ですから、革命が勃発しても、それは私たちのしたことではありません。それは、政府が多かれ少なかれ、政治的変化につながる他の道をすべて閉ざしてしまったせいでしょう」

そのような不穏な事態が勃発したら、あなたは国民を支持しますか?
「私が暴力を支持するか、という意味でしたら、私は暴力を支持しません。なぜなら、暴力は、本当は誰のためにもならないと思うからです。でも、もっと良い状況を求めて人々が自発的にデモを行うとしたら、私たちは必ずそれを支持します。そうしない理由はないでしょう。私たちは、もっと良い状況を求める必要があることを知っています」

もしNLDの政府が実現したら、市場経済を大幅に取り入れるでしょうか?

「はい、私たちは実際に、私たちの経済方針について2、3の文書を発表していますが、誰もそれを読みません。そして私たちに、あなた方の経済政策は何ですかと質問するのです。つまり、私たちには経済に関する計画がないのでは? というわけです。私たちが実際にこの点についていくつもの文書を発表しているのに、多くの外国人記者はそれを読みません。そして、私たちにどんな経済計画があるかと聞くのです」

あなたは今も、あなたの国に対する経済制裁は良いことだと信じていますか?
「私は制裁が有効だと思います。政府は二つのことを言っています。彼らはときどき、制裁には全く効果がないので、どんな制裁であれ全く気にしない、と言いますが、それなら、なぜ、制裁について大騒ぎするのでしょうか。またあるときには、制裁は、ビルマの一般庶民を困らせていると言います。
  しかし、彼らが制裁はビルマの一般庶民を困らせていると言うとき、それは、彼らは一般庶民ではなく、彼らの生活は一般庶民とは全く異なると言っているのと同じなので、いい印象を与えません。ですから、どちらにしても、軍事政権の制裁に対する方針は一貫しておらず、人々を余り力づけることもありません。
  でも私たちは、制裁は有効だと思っています。アメリカは非常に経済力の強い国ですから、制裁が発動されると、投資家たちは状況を注意深く観察するようになりました。そして、ビルマの投資法やビジネス習慣に気に入らない点が多いことに気づいたから、彼らは去っていったのです。単にアメリカが制裁を行ったためではありません」

しかし、制裁は経済破綻を狙ったもので、その目的については実は全く効果がなく、あなたの国の国民を苦しめているだけだという意見もありますが。
「制裁は国民を苦しめてはいません。私たちはそう言いきれます。そのような人たちには、制裁が国民を苦しめていることを証明して下さい、と言いたいだけです。そして彼らは、それを実際には証明できません。
  アメリカの制裁は、決して、ビルマ経済にそこまで極度に影響するものではありません。困っているのは、アメリカの会社と取引したいと考えていた、まさに社会の頂点に位置する人々です。制裁はすべての投資を排除したわけではありません。新しい投資ができなかっただけです。困るのは誰でしょうか? アメリカの会社との取引を計画していた人たちだけです。それは、一般庶民の役に立つことでしょうか? 私には、どうして経済制裁が一般庶民を苦しめていると主張できるのか分かりません」

しかし、彼らは、もし制裁がなければ、インフラへの投資が進み、現在一般庶民の生活を苦しめている電力不足などを軽減できただろうと主張するでしょう。
「しかし、アメリカの会社が、そのようなインフラ事業を考えていたという証拠はありますか? 証拠は一つもありません。確かにアメリカの会社と取引しようと考えていた人物はいましたが、そのような種類の事業ではありません。それは、全く彼らの個人的な利益のためです。私は、制裁は、ビルマの一般庶民ではなく、そのような人々を困らせていると思っています」

ASEAN諸国の投資家があなたの国への投資を続けることに反対ですか?
「私は、投資に失敗している人が多いだろうと思っています。ASEANからの投資の多くは、成功していません。ホテルを見れば、どんなにひどい状況かよく分かるでしょう。一体、全体の何パーセントの部屋が稼動しているでしょうか?」

あなたは以前、ASEANの経済危機が、あなたの運動の助けになっていたと発言したと思いますが。私の解釈は正しいでしょうか?
「私が経済危機がそのように私たちに役立ったと言ったかどうか分かりません。でも、ASEANの経済危機によって、ビルマの問題は諸外国にいっそう分かりやすくなったと発言したように思います。ASEAN諸国は自分たちの問題に忙しくてビルマを援助できませんでした。そして、誰にも隠せないほど、軍事政権の経済に関する無能さがはっきりしました」


ASEAN会議の冒頭の声明でキンニュンは、政府が平和と安定をもたらしているとも述べています。人々は、政権の主な業績は少数民族の反乱を平定したことにある、と言っていますが、それに賛成しますか?

「停戦協定は結ばれましたが、それはまだ、停戦協定にすぎず、長期的な視野に立った政治的解決には至っていないように思います。停戦集団はまだ武器を持ち歩いていますから、そのこと自体が不安の種になっています。停戦集団は、ビルマの大都市に、拳銃を腰にさして入っていくことができます。一方、普通のビルマの市民にとって、銃器を持ち歩くことは違法行為です。しかし、停戦集団が、私は役人だと思うのですが、銃を持ち歩いているのが見かけられます」

ではあなたは、軍事政権は、安定を確立し少数民族の戦闘を抑制する、その途中の過程にあると言うわけですね?
「ええ、彼らは途中の過程にあると思います。しかし、安定の意味がよく分かりません。そんなにこの国の安定に自信があるなら、なぜ大学を再開しないのでしょう?」

国境地帯の反乱とは別の問題として扱っているのでしょうね。
「安定しているのなら可能でしょう。そう思いませんか。別の問題とは言えません」

特に軍事政権内部だけでなく、政権外部にも、あなたが政権についたら、この国では、全土で少数民族の戦闘の火の手があがり、インドネシアやユーゴスラビアのような状況に陥るのではないかという懸念があるのですが。
「それは信じられません。あまりにもばかげた考えで、詳しく説明しようという気になれません。でも、ユーゴスラビアの問題については、ユーゴスラビアの様々な異民族間の反目や敵対は、12世紀にまで遡る問題です」

シャン人、ワ人、モン人、アラカン人など、この国の異民族集団の問題については、それほど歴史は古くないということですか?
「全く同じように扱うことはできません。まず、ワ人は新しい要素です。モン人とビルマ人、それに、アラカン人とビルマ人のあいだでは戦争がありました。しかし、シャン人はそれほどではなく、個々の地方の首領や指導者との間にちょっとした不和があった程度です。
  しかし、ユーゴスラビアで存在した問題は、全体主義者の支配によって悪化したのだと考えます。人々は、多元主義の政治システムによって自分たちの差異を処理することを許されず、また、自分たちの差異を暴力で解決するという伝統は決して除去されませんでした。それは、ビルマでも無くなっていません。
  政権自体が、暴力で問題を解決しようとしているのですから。人々を投獄することは暴力です。人々を殺すことは暴力です。彼らはいまも、問題を解決するのに暴力的手段を用いており、そして、暴力では、決して、問題を本当に解決することはできません。それは、人々を、ある一定の範囲で管理下におくことはできるかもしれません。ですから私は、彼らのやり方で、恒久的な平和がもたらされるとは思いません」

しかし、人々はまだ、NLD主導の政府が誕生すれば、明日にでも大虐殺が起きるのではないかと恐れていますよ。
「では、独立後のビルマがどうだったかを振り返ってみれば分かります。あなたがご存じだとは思えませんが。もちろん、カレン人の最初の反乱は、ビルマ独立直後に始まりました。それは、カレン人の中に、ビルマ人に支配された政府を容認できない集団があったためです。いや政府はビルマ人に支配されていたのです。
  当時の議会民主主義の下では確かに反乱がありましたが、それは、本当は独立戦争の遺物だったのです。共産主義の反乱、少しは少数民族の反乱もありましたが、反乱が突然増加したのは、ビルマ社会主義計画党の時代です。ですから、このような少数民族の不満のすべてが民主主義によって導かれたものだったとは言えません」

あなたは、それを引き起こしたのは、政権の独裁的性質や弾圧によるものと思いますか?
「ええ、人々は、満足のいく政治的回路によって不満を表明することを許されなったため、武器を取って不満を表明するしかなかったのです」

ミャンマーと国境を接する国々、特にタイでは、あなたが政権をとったら一体どうなるのか、あらゆる国境地帯で戦闘になるのではないかと心配する人もいますが。
「彼らは自分の国のことを心配すべきだと思います。私たちも自分の国のことを気にかけますから」

でもあなたは、現政権が、中途半端にではあるが、ある種の安定をもたらしたことを認めるのでしょう?
「私は安定とは言いません。安定は、また別の問題だと思います。しかし、私は、彼らが、武装民族集団の反乱を半ば終わらせたと言っていいと思います」

私は先週、車でモーラミャーウィンに行き、二つの新しい橋を通りました。道路はとてもよくなっていたし、もう、渡し舟を使わずに車でモーラミャインまで行けるのですよ。こういった面で、軍事政権は良いこともしたでしょう?

「しかし、橋をかけたり道路を造るのは、どの国でも政府の仕事ではないでしょうか? もし、そのような言い方をされるのでしたら、私たちは、植民地政府がつくったすべての橋、道路、鉄道を数え上げてみなくてはなりません。
  もし、橋や、道路や、鉄道を造るのが良い政府だというなら、植民地政府を大変よい政府として支持せねばなりません。現政権がそのような定義を受け入れるかどうか、私には分かりませんけど。ええ、彼らは橋を掛けたし、その橋には問題はないし---もし、頑丈にできていて、沢山の車の重みで崩壊したりしないなら、橋は良いものです。でもそれは、どんな政府でも当然行うべき普通の仕事であって、だからといって、軍事政権が政権にしがみつくのを正当化する理由にはならないと思います」

現政権のメンバーは、あなたは、彼らのすることほとんどすべてに反対で、何か良いことをしても絶対認めてくれない、とよく言っていますが。
「ええ、でも、ASEAN諸国は、十二分に認めているでしょう? 認めない者が誰であっても、その埋め合わせをするために。ASEAN諸国には、停戦協定のことを語る国も多いし、いわゆる好景気についても口にします。2、3年前には、ホテルや、車や、道路などについて話していたのに、今では話すのをやめました。誰もそのことを口にしないなんて、現政権は、どういう意味で言っているのでしょう。人々も、そのことをよく話題にしています。でも、ホテルが空室ばかりなのに、ホテルについて話しつづけるわけにいかないので、話すのをやめました。期待したような新しい車の流れがなく、道路が空っぽなのに、道路について話しつづけることはできません。何度も何度も話題にすることはできません。橋や道路やホテルについて、人々がどれほど頻繁に口にするというのでしょうか?」

でも彼らは、制裁を加えるために活動し、いつも非難ばかりする欧米諸国が、現政権だって国民の利益になることをしたのだと、たまには認めてくれたらいいなと思っているのでしょう。欧米諸国からの反応を誘うようなジェスチャーかもしれませんね。
「橋や道路やホテルで欧米諸国の気持ちが動くとは少しも思えませんが」

そうですか? 多くの発展途上国がそのようにしていますが。
「ホテルを建てることで、欧米諸国の印象が良くなるとは思いません。観光客は喜ぶかもしれませんが。橋、そう、橋がホテル以上に感銘を与えると本当に思われているのか、私には分かりません」

現政権にしてみれば、あなたがこのように不承不承といった態度を取るから、何か前向きなことをしたり、融和的な態度か何かであなたに接近しても、無視されるか拒絶されるに決まっていると感じていますよ。
「彼らが今までに、どんな意思表示をしたというのですか?」

2、3年前、彼らはあなたの仲間に話をして、去年、あなたたちが自分の会議を開くことを許可しましたね。でも、彼らがこのような行動を取るたび、あなた方は無理な要求をして、彼らは何か他のことをせざるを得ないのではないですか。
「それは違います。会議を開くことを許可されたとき、私たちは、声を大にしてお礼を言いました。私たちは、会議を開くことができて本当に喜んでいますと言いました。ですから、それは正しくありません。彼らが何らかの態度を示すたびに、私たちはちゃんとそれを認めています。でも、それは、その態度の重要性に応じてであって、それ以上に評価はしません。
  でも、そのような態度を認めたあと、私たちが何もしなかったという意味ではありません。私たちは、自分たちの仕事を進めました。でも、確かに私たちは本当にありがとうございますと言いました。私自身がそう言ったのですから、私には分からないはずがありません」

あなたはASEANの建設的関与という方針が、本当は成功していないと感じていますか?

「成功していません。何か達成されましたか? 2、3年前、ASEANがビルマを常任メンバーにすることを考慮していた頃、私たちは、二つ指摘しました。一つは、ビルマをメンバーと認めれば、現政権はもっと抑圧的になるだろう、ということでした。彼らは、自分達の方針が是認されたと思うでしょうから。ASEAN加盟によって、正式な許可を得たと考えるでしょう。少なくとも、正式な許可とまでは言わなくとも、ASEAN諸国は、軍事政権の人権侵害を気にかけないのだと思いこむだろうと言うことでした。二つめのポイントは、軍事政権下のビルマは、ASEANの利益にはならないだろう、ということです。私たちの二つの見解が証明されたと言っていいと思います」

ASEANに加盟してから、いっそう抑圧的になりましたか?
「ええ、ASEANの正式メンバーになってから、前にもまして、いっそう抑圧的になりました。私には、最近、ビルマがASEANの評判を落としているのではないかと思えます。ASEAN諸国の模範とは絶対に呼べません」

アメリカ合衆国は、中国への建設的関与は支持しても、ビルマについては支持しません。このような矛盾に疑問を感じる人が多く、欧米の外交官ですらそうなのですが、あなたはそれを、どのように説明されますか?
「私は中国の状況はビルマとは違うと思います。こう言うと驚く方もあるかと思いますが、私は、中国の反体制派は、私たちよりも、ずっと有利な立場にいると思います。私は自宅軟禁下にあったとき、中国では、反体制派の活動家の家族が、外国の記者に対して夫や父親のことを心配していると語っても逮捕されないのをラジオで聞いてびっくりしました。彼らは自由にインタビューを受けていたのです。また、中国は、反体制派について、互いに譲歩し合う分別があると思います。欧米の民主主義国家とも、うまく譲歩し合っています。
  軍事政権は中国政府よりずっと頑固ですから、私は、ビルマに建設的関与をするより、中国に建設的関与をした方がずっと有益だと考えるのです。しかし私は、この国で起こっている人権侵害については、どんな種類であれ、譲歩の余地はないと思います--ビルマと欧米民主主義の間でも、ビルマとASEAN諸国の間でも」

どちらの側も、相手に譲るべき余地はなかったのでしょうか?
「はい。しかし、現政権は、私たちに対して全く譲歩しません。私たちもうんざりするほど何回も言ってきたことですが、現政権は、譲歩し合うことではなく、彼らがすべてを取り、私たちが何もかも差し出すことを望んでいます。でもこれでは、譲り合いではありません。譲り合いとは、双方が、少しだけ相手を受け入れる、という意味ですから」

では、現政権のあなたに対する扱いですが、マハティール博士は、あなたがひどく神経質になっているようではないか、と語ったことがありますが。
「ええ、その通りです。でも、それは彼の個人的な意見であって、私たちはそれに同意しません」

もしあなたが政権を握ったら、ASEANの指導者たちに不快感を覚えたりしませんか?
「そんなことはないでしょう。政治とは、そういったものではありません」

あなたは、アメリカ合衆国は、適切な手助けをしてくれていると感じますか?
「私たちを、きわめて忠実に支えてくれていると思います。他の民主主義国家、特に北欧諸国や、EUもそうです」

現政権は、もしあなたが政権を握ったら、彼らが何らかの報いを受けるようにするのではないかと心配していますが。
「私たちはいつも復讐には興味がないと言っています。これは、私たちの正式な方針です」

あなたが第一に求めるのは、あなた自身や党の繁栄ではなく、国民の幸福ですか?
「ええ、国民の幸福です。つまり、必私自身の幸せのために、国民の幸福を必要としています。もし、自分自身の幸せだけを考えていたなら、政治に関与せず、もっと恵まれた生活を送っていたでしょう」

あなたが一番大切なのは、国民の幸福なんですね。ではなぜ、一歩譲って、だれか他の者を、政府の代表者との対話のために交渉のテーブルにつかせないのですか? もし政府が、あなた以外の党員となら話をしようと言うのなら。

「それは言い訳にすぎません。対話について、彼らは、人を欺くような発言を繰り返してきました。そして彼らは、対話について誠意のなさを見せてきました」

それは、あなたがそれに同意しても、彼らは実質的な対話を行わないような気がする、ということですか?
「いえ、違います。彼らは対話を望まないから、そして、政権を譲渡したくないから、対話に参加しないのです。対話に参加しないことに、何か本当の理由があるからではありません」

もう一度試してみてはどうでしょうか、あなたの方から誰かを送ると言ったらどうですか?
「私たちは、私の参加しない、下位レベルでの協議に同意すると言いました」

そう言ったのですか?
「ええ、実は、1997年に、第三者を通じて、その件が伝えられたので、私たちは同意しました。ところが、私たちが同意すると、彼らはその話をしなくなりました。そこで、彼らが本気ではないことが分かったのです。ただの言い訳なんです。いつも、新しい言い訳ばかり考えつくのです」

でも、あなたの党は、現政権はあなたに参加するなと要求すべきではない、そして、彼らは彼らの、あなた達はあなた達の代表を自ら選ぶべきだという声明を発表したではありませんか。
「その通りです。もちろん、私たちは、私たちが望むのは真の政治的対話であって、筋書きの決まった茶番劇ではないと、繰り返し語ってきました」

でも、あなたが党を代表すべきだというのが、あなたの選択なんですね?
「私たちは、誰を代表に選ぶか言っていません。でも、私たちは、自分達の代表を選ぶと言いました。彼らは、私たちに命令できません。では彼らが、私たちに、彼らの代表に誰を選ぶか命令させてくれるとでも言うのですか? もし、片方には、自分達の代表を選ぶ権利がないとしたら、それを真の政治的対話と呼べるでしょうか? もし、一方の側が、相手が交渉に参加するための条件を命令しようとするなら、それは本当の交渉ではありません」

そのような手続きを踏むことに、何か問題がありますか?
「何の手続きですか? 彼らに私たちの代表を選ぶのを許す、ということでしょうか?」

ええ、もしそれが国民のためになり、行き詰まりを打開するなら。
「でも、平等という点では、どういうことになるでしょうか」

不平等です。でも、それで前に進めるなら、不平等でも構わないのではないでしょうか。
「でもそれでは、真の政治的対話ではありません。あなたは、私たちに必要なのは、真の政治的対話ではないというのですか?」

もちろん、おっしゃる通りです。でも、真実になるかもしれません---彼らは単に、あなたと取引したくないだけなのです。
「でも、もし彼らが私と取引したくないのなら、なぜ、私が自宅軟禁下にあった6年間に、私たちの党の議長アウンシュエが何度も何度も申し込んだのに対話に応じなかったのでしょうか。彼らが私と取引したくないから話し合いをしないのだという口実を持ち出したのは、私が自宅軟禁から解放された後のことです。
  でも、私が自宅軟禁下にあったとき、アウンシュエは、本当に話し合いをしましょうと申し入れをしていたし、もっと広範囲の政治的協議を求めることさえせず、単に、国民会議の運営手続きが余りに非民主主義的だったので、それについて彼らと話し合いたいと頼んだだけです。彼らはそれを拒否しました。もし、彼らが私抜きでの対話を望むなら、6年もの間、そうできる時間がありました」

分かります、でもそれは過去の話です。現在あなたは、あなたではなく、党の他メンバーが参加する対話プロセスが開始されるのに賛成ですね?
「彼らはそのとき、私を排除した対話には言及しませんでした。彼らが、私と話をしたくないからNLDとは対話できないと言い出したのは、私が解放されてからなんです。だから、それは明らかに言い訳です」

でも、過去に何があったにせよ、私に正しく理解させて下さい、あなたは、自分を含まない、下位レベルでの協議に賛成なんですね?

「私たちはそれに賛成だと言いました。1997年からそう言っています。彼らは、何も聞かなかったふりをしているだけです」

では、彼らにとって他に話し合いの障害になるのは、国会を代表するためにあなたが設立した委員会だけですね? 彼らは、あなたが国会委員会を無効することを望んでいます。
「私は無効にするつもりはありません。なぜなら、脅迫だからです。彼らは私の仲間を拘留し、委員会を解散すれば釈放するぞと言いました。それは脅迫です。私たちは、それに屈するつもりはありません。もし、私たちの文書を読めば、単に彼らの要求のいくつかを受け入れたところで、彼らが本当に対話に向けて動き出すとは私たちに思えない理由が正確に理解してもらえるでしょう。彼らはいつも新しい言い訳を思いつくのです」

では、あなたは、国会委員会を無効にすることに反対なのですね?
「ええ、国会が召集されるまでは。もし委員会を無効にしたければ、簡単なことです。国会を召集すればよいのです、と私たちは言いました。この委員会は国会の召集までしか存続しないと私たちは明言しています」

政治は、実現可能なことを扱う技術です。あなたは、不可能なことに固執しているように思えます。
「なぜですか? 私たちが、どのような不可能に固執しているというのでしょう」

まず、国会です。彼らはあなたに、それを与えるつもりはありません。
「ええ、彼らはそう言っています。でも、軍事政権が支配する多数の国々において、軍事政権は決して屈服しないとあくまで主張したけれど、とにかく、屈服せざるを得なかったのです。ですから、変化を求めることが、それほど不可能なのでしょうか?」

実際的な言い方をすれば、あなたがそれを得られると感じる人はほとんどいませんね。
「なぜでしょうか?」

彼らがそうするつもりはないことは、あなた自身がご存知でしょう。
「でも、同じくらい邪悪で冷酷で、実際にはもっと有能な政権であっても、彼らは結局、変化に同意さぜるを得なかったでしょう。ですから、私が驚くのは、人々が私に、一体どうすれば変化を期待できるのですか? と尋ねるときです。まるで、世界は変化しなかったし、常に変化しつづけていないかのようではないですか。いつも、人々は、私たちが変化を望むからといって驚くのです」

現政権は、この点において妥協するつもりはないし、あなたも、委員会を無効にしない。あなたも、現政権も、欧米諸国も、みんな、自分の陣地に閉じこもっているだけです。誰も自分の場所から動こうとしないんですね。損をして苦しむのは、ミャンマーの国民というわけです。
「でも、今では、それは公平な意見ではありません。あなたはさっき言ったでしょう、私たちには下位レベルでの協議に賛成ですか? と。私は、ええ、賛成ですと言いました。ですから、私たちは閉じこもっていないことが分かるでしょう。彼らは閉じこもっていますが。
  私が言いたいのは、私たちがイエスと答え、柔軟な態度を取る用意をしていたのは、この件だけでなく、他にもあったということです。そして彼らには、柔軟な態度を取る用意がありませんでした。ですから、私たちが閉じこもっているなどとは言えません」

気持ちの上ではそうでしょう、しかし、あなたは、全く閉じこもっていますよ。
「そのような感じはあるかもしれませんが、それは、人々が、状況を十分に注意深く調べていないからでしょう」

あなたは現状に、この行き詰まりに満足なのだと思い始める人さえいる始末です。
「現状に満足な人などおりません。もし人々が現状に満足なら、それを変えようとしないでしょう。私たちは現状に不満だからこそ、それを変えようとしているんです」

確かにある程度のシニシズムが積み上げられてきましたね、でも、それでは何も動きまん。
「どこにシニシズムが積み上げられているのか、私には分かりません。でも、私たちの側にではないでしょう」

外から入って来た者にとって、いつも同じ質問をして、どこからも同じ回答しかもらえないのは、非常に悲しいことです。
「ええ、同じ答ばかりでは、ジャーナリストにとって退屈でしょう。これは、新しいお話ではありません。でも、あなたが同じ回答しか得られないからといって、世界が終わるわけではありません。何十年もの間、同じ答えしか返ってこない国もあるのではないかと思います」

あなたは昨年初めのインタビューで、NLDは、軍事政権と権力分担することも含めて、あらゆる可能性を考慮に入れる用意があると言ったと伝えられていますが。

「その報道は誤解によるものだと思います。単に、私たちは、どんな可能性も排除しない、交渉の席では、何でも論じる用意があると言っただけです」

では、権力分担も排除しないわけですね?
「はい、私たちは、交渉に先立って、どんな可能性も排除しません。結局は、何のための交渉か、ということです。受け入れることのできるものを発見するための交渉です」

あなたは現政権から融通がきかないと思われているばかりか、ミャンマーの国民にもそう思われるようになっていますよ。NLDに好意的な外交官ですら、あなたは頑固すぎると感じています。
「どのように頑固なのでしょう?」

妥協しようとしない、もっと融和的になろうとしません。
「妥協ならすでにしています。今まで、この対話の問題にいつも戻ってきますが、私たちはかなり妥協しています。彼らが面目を失わずに対話を始められる様々な方法を提案してきました。でもそのような妥協案をどれも受け入れようとしませんでした」

あなたは柔軟性に欠けるというのは、明らかに不公平な見方だと感じていますね。
「公平か不公平かという考え方はしません。このような状況では避けられないことだと思います。軍事政権に立ち向かい屈服しないのなら、頑固だと非難される。一定の基本的原則を擁護することと頑固さを区別しなければなりません。勝ち取ろうと努力している基本的原則をすべてあきらめて初めて柔軟だと思われるのなら、そもそもなぜこのような運動をしているのでしょう」

軍事政権はあなたが国の指導者になることに何が何でも反対です。
「軍事政権には関係のないことです。本当に関係のないことです。NLDも私も、私をこの国の指導者にすることが目的なのだと言ったことはありません。それにいずれにしろ、これはビルマ国民が決めることで、軍が決めることではありません」

ほとんどの人が、もしNLDが政権を引き継いだらあなたが指導者になるのを当然と考えていると思います。正直に言って、世界の大部分がそう想定していると言ってよいと思います。
「好きなように想定されて構いません。想定するのは自由です。私たちは信念と思想の自由を信じています」

NLD政府が誕生したとしても、必ずしもあなたが指導者になるとは限らないということですか。
「そうです。だってNLDが政権をとったら私がこの国の指導者にならなければならないなどという規則がどこにあるというのでしょう。どこにもないではありませんか」

現実には、あなたはNLDと同視されており、NLDのシンボルとなっています。それが現実です。
「そう、それが現実です。それでも、私がNLDと同視されているからNLDが政権をとったら必ず私がビルマの指導者にならなければならないということにはなりません。なるかもしれないし、ならないかもしれません。政治には不確定要素がたくさんあるのです」

人々はあなたは政治家ではなく、クルセーダー(十字軍)だと言っています。
「クルセーダーですって。とてもロマンチックな見方ですね。その人たちも私たちが毎日NLDの事務所でやらなければならないことを見れば、私たちがとても現実的な政治家であることに気がつくと思います。私たちには単に、クルセーダーになっている時間がないのです」

現在、あなたの政党NLDは離脱者のせいで分裂しつつある、自分の意思で離党する党員もいます。

「離脱者のせいで分裂しつつあるという表現は不正確だと思います。何人か離党した人はいますが、その人たちは当局と協力しており、このことは良心の呵責なしにとてもはっきり述べることができます。ほかのことを考慮に入れなくても、政府刊行物にその人たちを支持する記事が出たという事実がそれを証明しています。そのような記事が出ることは当局と協力している人たちにしか起こりません。離党者が出ることはそれほど新しいことでもありません。驚くべきことでもありません。このような状況では、みなが持ちこたえられるとは限りませんから」

そのような見方は離党した人たちに対して不公平だとは思いませんか。あなたと関係を絶ちたいと思った人がいれば、真の理由がどうであれ 政府刊行物はその人たちの記事を書いたと思いますが。
「彼らは私たちと関係を絶ったわけではありません。何をしたかというと、彼らの言い分によれば、忠実な党員として私たちに提案をしようとしたのです。いいですか、忠実な党員として私たちに提案をしたいという場合にはその声明をキンニュン将軍にも送るなどということはするべきでありません。声明はキンニュンとアウンシュエとに送られたのです。これは私たちに提案をしたがっている忠実な党員のとるべき行為ではありません」

彼らは忠実な国民として、解決策を見つけ出すために行き詰まりの両側に声をかけたのだと述べていました。
「彼らはそうは言っていません。自分たちは忠実な党員だと言ったのです。単に提案を出しただけだと。彼らからの手紙にはそう書いてあったのです」

本当ですか。
「本当です。彼らのうち何人かが書いた手紙にそうありました」

ここにその手紙を持ってきていますが、おっしゃる通りNLDのアウンシュエ議長とキンニュン将軍にあててあります。
「そうです。党の忠実なメンバーを装っているなら、第一書記にも手紙を書く必要があるのでしょうか」

行き詰まりをなんとか打開しようとするためです。彼らは両者を引き合わせよう、対話を始めさせようとして手紙を書いたと言っています。
「ええ、でも彼らは私たちに提案をしたのです。彼らはSPDCに対して、SPDCの抑圧的な態度を改めるべきだと言ったのではありません。彼らはキンニュンに対して、SPDCはNLDをより公平に取り扱うべきだと言ったのではありません。ですから、このこと自体がこの書類、この手紙がバランスがとれていなことを示しています。
  もしあの人たちが本当に国のためを思っていたのなら、バランスのとれたアプローチをとらなければいけません。NLDに対してはこのような問題に関してはもっと柔軟姿勢でよいのではないかと言い、SPDCに対しては、抑圧的態度を改め、国民を牢屋に放り込み、拷問し、脅すのをやめなければならない、と言うことができたはずです」

この手紙に関係している3人、NLDのタントゥン、ティントゥンマウン、そしてチーウィンと話をしました。彼らがこのように率直にものを言ったためにあなたは彼らを裏切り者だとみなしているのですね。
「私たちは2年前にタントゥンを党から追放しました。党内で派閥をつくろうとしていたからです。ティントゥンマウンとチーウィンともその頃からタントゥンに近い存在でした。でも2人は当時指導的立場になかったので何も処置をとりませんでした」

ティントゥンマウンの話はなかなか説得力があるように聞こえます。また誠実で、この行動に出るよう軍事政権に強いられたようには見えません。
「それはもちろん、誠実そうに見えます」

彼らはNLD所属議員の署名を、一時は25人分を集めました。
「ええ、でもその大部分が署名を取下げたと思います」

このエピソードは、あなたが方針転換すべきだという党内の潜在的感情を示していませんか。
「いえいえ。彼らの提案、少なくとも、彼らがこの重大な計画が何なのか尋ねられたあの記者会見の様子から私が理解していることは、彼らには事態を前進させる計画があったということでした。彼らは、下以レベルの会談だと答えたのです。でも、その提案は私たちにとってはなんとも古くさいことです。その提案は私が言うように1997年に出され、無視されましたから。
  そうするとその重大な計画とは何でしょう? 何でもなくなります。単なる下位レベル会談。しかもSPDCは1997年の終わりに下位レベル会談には関心がないと意思表示をしているのです」

人々はあなたの傲慢な態度について不満を述べます。党内であなたの意見に反対する意見を認容しない、と。
「タントゥンが2年前に例の書類を出してきたとき、実は私たちは彼と徹底した話し合いを行いました。彼を話し合いに、私だけでなく執行委員会全体との話し合いに招いたのです。私たちが反対意見を認容しないとしたら、彼を直ちに追放したはずですが、私たちはそのようにはしませんでした。徹底的に話し合ったのです。
  彼らは自分たちの意見を述べる十分な機会を与えられました。それでも自分たちのやっていることを弁明することができず、党内で派閥をつくろうとし続けました。だから私たちは党の規律委員会の下で処置をとったのです。党にも決まりはあるのです」

その人たちが、不満を抱いているほかの党員たちとともに「第三」の勢力を結成する可能性はありますか。
「いいえ、そのような心配は少しもしていません。誰かに、彼らが政党を結成するかもしれないことに心配はしていないかと尋ねられたことがあります。私は、彼らが政党を結成したらとてもうれしく思うだろうと答えました。彼らが政党を結成すれば、彼らが当局と協力していたことが少しの疑いもなく証明されるからです。当局と協力しない限り新しい政党を結成することは認められないでしょうから」

現在、新しい政党は許されていないのですか。
「ええ、現時点で誕生している政党はありません。もうひとつわかりやすいのは、彼らがビルマ中をまわって他の議員に参加するよう説得するのに十分な準備を与えられたことです。NLDの議員のほとんどは実質的軟禁状態にあります。少なくとも、自分の町から出ることは許されていません」

要するに、NLDは崩壊していると言ってよいのですか。
「いえいえ。彼らのような人たちだけです。個人名を出すのは好きではありませんが、今回の手紙を出した人たちの中には1996年に初めて拘留されたときに既にゆらいでいた人もいます。それでも彼らを怖がらせるには十分だったのです。1996年5月に初めて議会を開こうとして議員全員が身柄を拘束されたとき、今回の手紙に署名した人たちのうち何人かは議員を辞職しました。そのときもう少しで辞任しそうだった人もいましたが、残るように励まされました。辞職した人たちはただ臆病で、圧力に立ち向かうことができなかったのです」

圧力に負けてしまう党内の人たちについてはどう感じていますか。
「圧力に負けてしまう人たちに対しては特にどうとも感じていません、実際、状況は困難だからです。誰でも劣勢にあるときには気力も劣り、もうやっていけないと感じることもあると思います。ただ私が気に入らないのは、国民の福祉を気遣うからだとか、いろいろな理由をならべて、もうやっていけない事実を正当化しようとする、そのやり方です。もしその人たちが単に、もうこれ以上できません、と言ったのであれば、実際そう言った人たちもいますが、私はその人たちをもっと尊敬すると思います。ただ少しばかりの平和と静けさがほしいのだと言ったのであれば」

あなたはかなり前に、前副議長で主要なアドバイザーだったチーマウンを失いましたね。

「ええ、彼は事実上引退したと言っていいと思います」

昨日の朝、彼に会いました。彼は今回の手紙を書いた人たちのような人は、反対意見を述べるのを許されるべきだと感じています。
「反対意見を述べるのをですか」

党の本路線に反対する意見を述べることをです。
「もちろん、反対の意見を述べるのは構いません。さっき言ったように、正しいルート、正しい方法によってなら反対意見を述べていいのです。しかし、反対意見を述べるのと、キンニュンに手紙を書くのとは全く話が違います」

あなたはチーマウンを失った時点で主要アドバイザーをも失ったのだと言う人もいます。その結果あなたの政治的思考は決して以前のように明確であることはなくなったと。
「いいえ。チーマウンは私の重要なアドバイザーではありませんでした。彼は以前アウンシュエとティンウ副議長と一緒のグループにいました。この2人とチーマウンは一時、全員軍隊にいたのです。だから3人はいわばひとつのグループでした。それからもちろん、執行委員会のほかのメンバーもいます」

執行委員会はかなり年をとってきていますね。
「まあそうですね、若手の、潜在的な執行委員会メンバーたちは今獄中にいますから」

軍事政権は現在、今までになく居心地がよさそうに見えます。あなたとあなたの党について前ほど心配していません。軍事政権がいわゆるPR合戦に勝ちつつあるのだと感じている人も多くいます。
「軍事政権が前ほど心配しているかいないかは知りませんが、私たちも特に心配はしていません。軍事政権は自分たちが多くの問題を抱えていることをわかっていると思うからです」

最近のアジアの新聞記事を読んでいると、「ビルマの聖女、反対者の侮辱に苦しむ」や「批評家、アウンサンスーチーを酷評」というような見出しを目にします。普段はあなたに友好的な新聞もあなたに批判的であるように見えます。
「その問題はいつもありました。どんなメディアからも100%の支持を得たことはないと思います。民主化運動を首尾一貫して支持している西側の新聞はあると思いますが、アジアのどのメディアについてはそう言生きれないような気がします」

ある意味で競争に負けているとは感じませんか。
「いいえ、浮き沈みはいつもありました。これは何も新しいことではありません。NLDの勢力が弱まっているという宣言はいつもされてきましたが、これは離党していく人たちがいるということです。それからまた、NLD内の問題や、大きすぎる圧力に参ったり、めちゃくゃになるなどの波が押しよせます。まさに寄せては返す波に似ていますが、それが政治というものです。1988年の初頭からずっとそうでした。NLDについて数カ月以上続いた一貫した見方などは今までに一度もなかったと思います。今回もそのようになるのでしょう。
  1990年の総選挙の直前の数日間、多くの新聞が、NLDはもちろん人気があり最多数の議席をとるかもしれないが、どうしたって過半数はとれないだろうと述べていました。しかもこれは一紙の見方ではなく、一般的な見方でした。1990年の総選挙のほんの数日前のことです。そしてもちろん、選挙の後では今度は全く新しい見方をされました。草の根の支持を受けていたのはNLDであったのをずっと前から知っていたかのような書き方で。今ではもうこのようなことには慣れました。ニュース報道に波があることについて」

1990年の総選挙であなたがあれほどの大勝利を収めるとは誰も予測できませんでした。NLDの党員でさえあれほどの議席をとれるとは少しも思わなかったのではないでしょうか。
「思っていました。証明できると思います。実は、75%はとれると確信している、と誰かに手紙を書いています。わかっていた人はほかにもいると思います」


あなたは、人道的援助にも反対するという立場をとっているのですか。
「どんな人道的援助に反対しているというのですか」

人々が医療品や注射用の薬などを寄付することです。
「いいえ、反対していません。ただ問題なのは、誰もこのことを徹底的に調べないのです。人道的援助について私たちが言ったのは、人道的援助に反対するということではありません。ただ、当局に気に入られている人だけでなく皆に平等に行き渡るようにきちんと監視されてほしいのです。それから、その援助が当局によってプロパガンダ手段として使われないように」

でも、援助がなんらかの方法で誤用されないと保証できる発展途上国はありません。同じように、ビルマでも保証できません。あなたの態度のせいで援助が入ってこなければ、結局人々が苦しみます。
「少しは入ってきても構いませんし、実際少しは入ってきています。一定の国連機関のプロジェクトのように、よいプロジェクトで、きちんと監視されていると私たちが合意したものは実行されています。そのほかに、軍事政権を助けているという理由で私たちが断った援助もあります。
  例えば、USDA(連邦団結発展協会[注:軍政がインドネシアのゴルカルをまねて作った全国組織])のメンバーを外国へ送って視察旅行をさせるなどのプロジェクトがありました。これには私たちは反対します、明らかにSPDCの手に乗ることになるからです。でも、人道的援助そのものに反対だと言ったことは一度もありません。すべてのNGOがビルマから出るべきだとか入るべきではないとか、そのようなことを言ったこともありません」

ということは、ここにもまた誤った認識があるようですね。スーチーは人道的援助でさえ受け入れない、と言う人がたくさんいますから。例をあげることさえあります、注射用の薬など。
「何にしろ、寄付することについて私たちがどう感じるか誰も尋ねさえしませんでした。もし尋ねられていれば私たちは恐らく、皆に平等に行き渡り、USDAに渡されないのであれば結構ですと答えていたでしょう。例えば誰かが粉ミルクを分配する場合、私たちはUSDAを通して分配されることには絶対に反対です。そうすると人道的プロジェクトも政治的プロジェクトになってしまうからです」

しかし、いずれにせよ少なくとも人々は粉ミルクを受け取るのではありませんか。
「受け取るのが誰かが問題です。人々が粉ミルクをもらえず、USDAの家族がもらえるかもしれず、一部は市場に行ってしまうかもしれません。ある外交官が、彼の国が寄付した薬を店で実際目にしたと認めてくれました。その薬が人道的目的で寄付されたことを示すマークがついていたのだと思います。それなのにその薬がどこに行き着いたかというと、民間の薬局です。同じようなことが多く起きています。私たちが注意しなければならないのはこのようなことです」

6年間の自宅軟禁後の今、あなたの自由は限られていますが、人々はあなたが町の中にあまり出歩かないと言います。
「なぜ出歩かなければならないのでしょう。何のために。第一、私は出歩いています。ただ、出歩いているのを見られるのだけを目的としては出歩きません。何か理由があるときに外出します。NLDの行事には私たちは必ず行きます。例えば、NLDのメンバーが亡くなったら、私たちは必ず集まり、葬式や宗教的儀式などを準備します。そのような機会には私は外出します。家族の行事など、一定の社会的行事にも参加します。ただ、私が出歩かないということなら、私は出歩いているのを見られるのだけを目的としては出歩くことはしないということです。パゴダにも時折参拝します」

ヤンゴン市内では比較的制限されていないのですね。
「ええ。私は買い物にはあまり行きません、この間息子を買い物に連れて行きましたが。買わなければならないものはそれほどありません。何を買うのでしょう。自宅に住んでいますし、家族がここにはいませんから、家族のために買い物をする必要もありません」

あなたは「民主主義の闘士」とか「ビルマのヒロイン」のように呼ばれるのをどう感じますか。
「あまり深刻には受け止めません。呼び名は常に変わるものでしょう」

しかし、あなたは世界中で知られている数少ない人物の一人です。
「そうは思いません。必ずしも民主主義だけでなく、特定の分野で闘士の名にふさわしい人はほかにも多くいると思います」

しかし不可能に挑戦して闘っているという点では、あなたはダライ・ラマに匹敵すると見られています。
「特にどうとも思いません。私にとってはただ、しなくてはならない仕事に過ぎないのです」

殉教者ではないのですか。
「いいえ。いいえ、私は殉教者コンプレックスはもっていません。必要なのは働く人であって、殉教者ではありません」

あなたはある時、あなたを自宅軟禁した軍に対して不愉快に思っていないと言いました。「父のせいで、私はミャンマー国軍に甘いところがあります」と言いましたよね。
「ええ、彼らに自宅軟禁されたからといって彼らを責めることはありません」

苦々しさもないのですか。
「ありません。どうしてあるでしょう。仕事の一部なのではありませんか」

この打開しようがない行き詰まりが個人的なものになったために、余計に事態が悪化した、と言われます。両側の主要人物の間に個人的な敵意があるようだと。
「主要人物とは?」

あなたと…。
「私と誰ですか。こういうときに、軍事政権の指導者たちだと言われますが、軍事政権の中で誰が実際に最も有力なのか誰もそう確かには知りません。だから、それは憶測に過ぎません。私とSPDC全体だと言うのなら、それではもう個人的ではなくなりますよね。SPDCのメンバー全員ということになりますから」

では、あなたとキンニュン中将ということにしましょう。
「キンニュンと言っても、私は彼を知りもしません。そう、3回会ったことがありますが。私たちの間に個人的敵意があると言えるほどつきあいがないのです。彼の方に個人的敵意があるかどうかは知りませんが、少なくとも私の方にはありません。やや形式的な場で2、3回会っただけの人に個人的敵意をもつのはとても難しいことです」

しかし、その限られたつき合いの中ではどうですか。
「いいえ、個人的敵意をもつ根拠となるものが全くありませんでした。私たちはキンニュンが指揮している軍情報局(MI)がやっていることはちっとも好きではありませんが、それは個人的レベルの話ではありません。私たちが不満を述べるのは組織としてのMIとその行為であり、個人としてのキンニュンとは関係がありません」

正常な状況のもとでならキンニュンと一緒に仕事ができると思いますか。
「彼とうまく行くかどうかはわかりませんが、一緒にするべき仕事があれば一緒に成し遂げることができない理由はないでしょう」

キンニュンを「冥界の王<訳注:悪魔の称>」と呼んでいる出版物もありますが。
「なぜだかわかりません。軍情報局というものはどこのものも恐ろしいものだと思います。拷問や弾圧や実に様々なひどいことをやります。だからそのような組織を代表する人として彼をいろいろな名前で呼ぶことができると思いますが、『冥界の王』のような表現はややドラマチックすぎると思います」

このような、あなたに批判的な記事の中で、ビルマ国内のメディアはあなたのことを「ボガドー」と読んでいます。外国人という意味ですよね。
「ああ、白人の妻という意味だと思います。実際私はイギリス人の妻です」

そのようなビルマ国内のメディアは、あなたがあれほど長い間外国、主にイングランドに住んでいたためにあなたの国籍に疑問を投じます。あなたは国籍上ビルマ人ですか。
「ええ、私はビルマ人です」

英国のパスポートを持っていますか。
「持っていません。持ったことはありません。私がビルマ以外の国籍を持ったことがないことで彼らを動揺させるのだと思います。彼らはもし、私が外国の市民であったと言えばとても喜ぶと思いますが」

政府はあなたが外国に住んでいたとき、母国にはほとんど関心を示さなかったと言います。ロンドンのビルマ大使館に一度も出頭しなかったとか、あなたが実質上20数年間ビルマに背を向けていたと。
「彼らは何でも好きなことを言えます。例えば、彼らは私が子どもたちをロンドンのビルマ大使館に届け出なかったと言います。私はそれをおもしろいと思いました、まさに私が大使館に届け出たために、彼らは届け出なかったと言おうと思いついたのですから。
  彼らが言うことには全くのうそが含まれています。夫が、私がノーベル賞をとった賞金でイギリスの小さな家から巨大な家に引っ越したと言います。実際には夫は一戸建てからもっと大きな建物の最上階にあるアパートに引っ越したのだというのに。アパートの建物はどうしたって一家族用の家よりは大きいですから。しかも、彼らはそれがうそだとわかっているのに、わざとそう言い続けています」

彼らが、あなたの夫が亡くなる前にミャンマーを訪れるのを許可しなかったことについて、まだ苦々しさを感じていますか。
「家庭内の問題についてはお答えしません」

なぜですか。
「家族のプライバシーを守ってほしいからです。それに人々は私の行う政治のために私に関心があるわけですから、政治の話から離れないことにしましょう」

しかし民主的な世の中では、公的人物にとっては私的生活を部分的に公開するというのは避けられない人生の現実となっています。
「私が暮らしているのは民主的な世の中ではありません」

しかし民主的な世の中になったら、私的生活についても話さなければならないでしょう。
「話さなければならないというのがどういう意味かによると思います。話さなければならないという決まりはないと思います。話すか話さないか自分で決めることができるはずです」

あなたの健康はどうですか。
「健康です」

あなたは裕福ですか。
「いいえ。でも何とかやっています。お金持ちではありませんが、著書からの印税があり、これはビルマの水準から見ると高いのです。でもSPDCのメンバーに比べたら、裕福というには遠く及びません」

あなたは合法的にNLDの書記長なのですね。
「ええ」

軍事政権はそうでないと言いますが。
「彼らはそう言いますが、そう言う何の権利もありません。多党制民主主義選挙委員会の規則によれば、政党が党内の諸事情についてどうするかはその政党が決めることとなっています」

国を離れるつもりはありますか。
「いいえ。なぜそうすべきなのでしょう?」

当局があなたを再入国させないのを恐れて、決して国外旅行はしないのでしょう?
「まあ、いつか、戻れるかどうか心配せずに旅行できるときが来るでしょう」

他のジャーナリストや外交官などが、あなたは傷つきやすく、特定の質問をされると動揺すると私に言いました。
「なぜでしょう。私は大勢のジャーナリストに会っています。皆、あなたと同じような質問をしてきます。そして私が一貫して答えようとしないのは家族についての質問だけです。それ以外は、質問をするのがジャーナリストの仕事です。もし彼らと意見が合わなければ私はそう言いますし、相手もそう言います。それは十分公平なことだと思います。
  でも、私はかなり多くのジャーナリストに会っていますが、自分の望み通りの質問をしてくれないからといって、そのつど動揺していたら、常に動揺していなければならないことになります。私の感情に気をくばるよう頼まれた人がいたなど聞いたことがありません。だって政治家はそれがどんなに厄介な質問であろうと、質問をされるためにいるのが当然だと思っていますから」

(翻訳:ビルマ翻訳グループ、斎藤万里子、秋元由紀/全体チェック菅原秀)