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社会

ビルマの拷問―元政治囚が語るその実態
2000年3月1日配信 イラワディ誌

原注:ボーチーは元学生活動家で現在亡命中。この記事は「イラワディ」誌に寄稿されたものである。

ビルマの拷問―元政治囚が語るその実態

イラワディ誌 (第8巻第3号、2000年3月)

ボーチー(元政治囚)

 拷問被害者に支援を行い、拷問というこの忌むべき活動に終止符を打とうとするとき、この問題の持つ性格が一般に知られていないことが非常に大きな障害となる。ほとんどの人は本当の意味で、拷問とは何であるのかを理解してはいない。これ以上の拷問被害を防ぐためには、この問題がより広く知られる必要がある。私はこの場で、ビルマの拷問被害者たちの経験を語ることを通じて、拷問の意味だけでなく、その目的、方法と効果を解説することにしたい。

 拷問に関する基本的な定義は、拷問に関する東京宣言(訳注:アムネスティ拷問廃止キャンペーン東京宣言2000年10月18日)によって与えられている。しかし宣言は、拷問の目的については、拷問が科される直接的な理由について述べているだけで、人間の精神の効率的な破壊という、その裏の意味には触れていない。拷問は、男性または女性の強靭なアイデンティティを破壊するために用いられる。労働組合の指導者、政治家、学生指導者、ジャーナリストあるいは民族組織の指導者を、拷問室の中で、外界とまったく無縁の実在しない人間に変えてしまうのである。

 このプロセスは逮捕時点から、たいていに夜に始まる。しかしビルマでは、昼間に公然とこのプロセスが開始されることがある。1998年の民主化蜂起で最も著名な学生指導者の1人、ミンコーナインの逮捕がその一例だ。ミンコーナインは現在38歳(訳注:2002年には40歳になる)で、全ビルマ学生会連合(ABFSU)議長を務めていた。彼と私は1989年3月23日の午後、大勢の人が見守る中、私服の一団によって逮捕された。逮捕は暴力的なものだった。警官3人が私たちの首を、まるで危険な犯罪者であるかのように非常に手荒に掴んだ。そして私たちは軍情報部(MIS)の人間に引き渡された。彼らはミンコーナインをトラックに乗せる前に手錠を掛け、頭に汚らしい袋をかぶせた。トラックに乗せる時には、私と幾人かの人々が見ている前で、激しく殴打した。さらに彼の体中を殴る蹴るし、秘密の場所へと連れ去っていった。そこで数週間監禁し、さらに激しい拷問を加えたのである。家族には約3年の間、面会許可が下りなかった。面会した家族は直ちに、彼が心身両面でトラウマに苦しんでいることを理解した。逮捕から11年が経過した現在、ミンコーナインは依然、ラングーンの家族から遠く離れたシットウェーの刑務所で苦しい生活を送っている。

 現軍事政権下のビルマでは、身体に対する様々な拷問が用いられている。計画性のある殴打(一生残る傷を与えることを目的とする)、不規則に行われる殴打(ライフルの柄や杖による)、電気による拷問(歯ぐき、耳、指先、性器など身体の繊細な部分に電極を当てる)、「モーデワ」と呼ばれる水責め(水滴を被害者の頭にたらすもので、数時間すると、頭を金づちで殴られているような感覚が生まれる)がある。他にもタバコの火を身体に押し付ける拷問が日常的に行われている。
 不規則に行われる殴打はその意図がなくても、回復不可能な傷を残しかねない。1999年に釈放された元政治囚のトゥラソーは、尋問センターで男たちから殴る蹴るの暴行を受けたときのことを話している。殴打は質問が行われる前から始まっていた。無差別に殴られていたときに受けた両耳の傷が原因で、聴覚に障害が残ってしまった。

 元学生活動家で政治囚だったモーエイは、著書「10年間」で計画性のある拷問を受けたときの経験を次のように記している。

 「座れ。そして肢を伸ばせ。」 情報部員が命じた。
 「次に片足が持ち上げられた。恐怖を感じた。両足が硬い木の木切れの上に乗せられている。そして私は足の上に別の木切れのようなものがあるのを感じた。次に聞こえてきたのは鉄の鎖の音だった。強烈な痛みを感じた私は大声で泣き叫んだ。」

 激しい拷問によって生じた組織の損傷、構造上または機能上の障害は、強かん、事故またスポーツによる負傷で発生するのと同類のものである。また頭の上に腕を置いた状態で、手首から吊り下げられることもある。これは情報部員が尋問の時に取らせることの多いポーズで、長期的な関節の痛みを発生させるほか、長い間立つこと、また座ることを困難にする。

 肉体に対する拷問は非常に過酷なものだが、拷問の最悪の形態は精神に対するものである。ほとんどの場合、拷問は逮捕時点から始まっている。逮捕直後から汚らしい頭巾が頭に被せられる。直ちに外界との一切の接触が遮断される。そして被逮捕者は異常に暗い、あるいは異常に明るい小さな独房に拘留される。尋問中に寝ることは許されず、少なくとも36時間は飲み物も食べ物も口にすることができない。こうして被害者は一切の時間感覚を失う。拷問被害者は長期間入浴が許可されず、非常に非衛生的な状況に置かれる。被拘禁者がトイレに行きたいと申し出ても、当局が取り合うことはない。
 こうした状況下に置かれた拷問被害者は異常な状態になることがあり、自殺する場合もある。有名な女性学生活動家だったティンティンニョー(当時26)は、1990年に情報部員によって拘束され、尋問を受けた。彼女は尋問センターで、ジャングル用の軍靴を履いた情報部員に陰部を蹴り上げられた。しかしどのような拷問を受けたのかそれ以上のことはわかっていない。彼女は誰にもそれを語ろうとしなかったからだ。1993年12月31日、彼女は自殺に成功した。

 身体的、精神的拷問の間には往々にして強い結びつきがあり、発見することの難しい傷を残す。被害者の多くは性器への暴行を受けた経験をあえて話そうとはしない。このことは、恥と罪悪感、釈放後に受ける社会的スティグマに対する恐れと密接に関わっている。
 被害者は拷問を経験した後、長期に渡って不眠症や悪夢に悩まされることが多い。深刻な鬱(うつ)状態も被害者に共通する問題であり、激しい精神的な衰弱によって、通常の生活への復帰に多大な困難が生じるケースも多い。
 拷問についての認識が広まることは、不幸な犠牲者と、いまだにビルマの監獄に捕らえられている約2500人の政治囚に対するこれ以上の拷問を止めることにつながる。拷問被害者にどのような支援が可能なのかを考えていくときではないだろうか。


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著者について:
 ボーチーは1988年の民衆蜂起時に政治活動に加わり、全ビルマ学生会連合(ABFSU)の元執行委員を務めた。同連合のミンコーナイン議長と共に1989年3月23日に逮捕されたものの、その後釈放された。しかし1990年3月16日に、あらゆる学生政治囚の釈放を求めるデモへの参加を理由に逮捕され、懲役3年を宣告された。1993年に出獄したものの、1994年7月17日に再び拘束され、懲役5年の判決を受けた。1998年10月2日にタラワディ刑務所から出獄した彼は、その一年後にビルマを出国した。現在、ビルマ政治囚支援協会(AAPP)の共同書記を務める。

(訳:箱田 徹)

出典: Bo Kyi, "What is Torture?", in Irrawaddy (Vol. 8. No. 3, March 2000.)