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社会

アジアの虐殺を容認する日本
2000年7月15日配信 月刊「公評」二〇〇〇年八月号 

月刊「公評」二〇〇〇年八月号 七月十五日発行

アジアの虐殺を容認する日本
ジャーナリスト 菅原 秀

東チモール虐殺を座視した日本

 昨年の八月から九月にかけて、東チモールには住民虐殺の嵐が吹き荒れ、その魔の手は取材中の外国人記者や、住民投票の準備作業をしていた国連職員たちの上にも襲いかかった。
 もちろんこうした状況を引き起こしたのは、インドネシア政府であり、さらに東チモールのインドネシア併合の糸をひいたオーストラリアやアメリカである。そして、インドネシアの最大の援助国である日本もその責任の一端を担っている。
 最終的に東チモールの住民虐殺を決定的にしたのは、この島の治安を、加害当事者であるインドネシア国軍にまかせることにした国連安保理である。
 しかし状況が悪化するにつれて、これら糸をひいた側の国々や国連関係者の中にも、自分たちの政府が犯した行為を告発し、政府や国連の東チモール政策の変更を迫る人々が多数現れた。

 もちろん日本人も何もしなかったわけではない。いくつかのNGOが何度もこの島を訪れ、その実情を訴え続けてきたし、八月の末には国会議員のグループが、この島に視察に入り、政府に対して毅然とした措置をとることを迫っている。
 インドネシアに駐在する商社員の活躍も見逃せない。現地にいる駐在員がビジネスの合間を見計らって、東チモールで発生している危機的な状況を、逐一、日本に報告してきた。自分の会社が動いてくれないとわかると、彼らは市民団体にむけて情報を発信し続けた。

 しかし、日本の場合の大きな問題点は、市民レベルでは東チモールの危機認識が発生したのに対して、政府の対応が実にお粗末だったことである。東チモールの虐殺が顕在化すると同時に、世界各地のNGOや政府が動き出し、インドネシアは孤立化を深めた。一方、その国内では政府の政策を否定する声が強く上がっていた。
 インドネシアの民主化グループも、九八年八月に東チモールのディリで開かれた「学生連帯会議」をきっかけに、連帯の声を大きく上げるようになり、スハルト退陣後の追い風を受けて、インドネシア全体にその声を広げていった。不安定な政局ながらも、政府人権委員会や検察庁の機能は最低限度保たれ、インドネシア各地で反政府派の虐殺を長年指揮してきたといわれるスハルトの義理の息子、ブラボウォ陸軍特殊部隊司令官を追放することに成功した。さらに最近ではワヒド政権で治安担当大臣になったウィラント将軍の東チモール虐殺への関与が疑われ、辞職を余儀なくされている。
 そうしたインドネシア国内の良心を無視しつづけたのは、旧スハルト政権時代から力を誇示してきた支配階級であり、日本は、東チモールで虐殺の嵐が吹き荒れているにもかかわらす、従来からの利権集団との取引を止めることがなかった。
 国連安保理がインドネシア国軍に治安維持を任せたことが失敗であったことがわかると同時に、安保理は国連部隊の出動を決定せざるを得ない立場に追い込まれた。

 事態を解決できないことにいらだった各国は、土壇場で日本の役割に注目した。安保理からの要請に基づいて各国は、自国軍を国連に派遣した。「アジアの価値観」を主張し続けるマレーシアでさえも、五百人の部隊を派遣した。もちろん日本が国内法との関係で軍隊を派遣できないということは有名である。しかし、日本には利権という切り札がある。アメリカのクリントン大統領を始め、先進各国の首脳が、小渕恵三首相に対して、インドネシアに強力な圧力をかけて、虐殺を直ちに停止させるよう要請した。
 しかし、小渕首相は何の措置も取らなかった。

ビルマではすでに虐殺が開始されている

 実は東チモールと同様な危険をはらんでいるのは、ビルマ(ミャンマー)である。日本の新聞ではこの国をミャンマーと表記しているが、世界各国のマスコミはビルマ(Burma)と表記し、ミャンマーを採用したがらない。日本のマスコミがこの国をミャンマーと表記する姿勢に、外交政策の不明瞭さが明白に現れているのである。
 昨年、ビルマ軍事政権のスポークスマンがタイの新聞各社に対し、「わが国の名前はミャンマーであり、ビルマと表記しないで欲しい」との異例の要請をした。タイ各紙は、そのことをいっせいに報じたが、どの新聞社もミャンマーという表記に切り替えなかった。
 ミャンマーという言葉は、ビルマ人あるいはビルマ語を差す文語表現であり、「日本」と「大和」の関係のようなものである。しかし、軍事政権が一九八九年に国名を変更した理由は、「わが国は多民族国家である。ビルマという言葉はビルマ族だけを差すので、もっと広い意味でミャンマーとした」したというものだった。
 「日本」という国名を「大和」と変えて、しかも多民族国家だからといったところで誰も納得しないのと同様、諸外国のマスコミは、ビルマ軍事政権の国名変更を無視した。しかもこの軍事政権は一九八八年の流血デモの直後に、騒乱に乗じて軍隊が勝手に作ったクーデター政権である。国民の真を問わない国名変更を国際的に認めること自体にも問題があることから、諸外国のマスコミは現在でも、Burma あるいはBirma と表記している。

 報道の自由を標榜するはずの日本の新聞が、報道の自由を否定するビルマ軍事政権の一方的な決定を無批判に受け入れていることは理解しがたい。日本のマスコミがこういった状態なので、ビルマで何が起きているかということは、ほとんど報道されていない。
 ビルマでは、東チモールで発生したのと同じような住民の虐殺がここ十年間、ビルマ国軍の手で行なわれつづけている。この六月、国際社会はその状態を座視することができなくなり、やっと重い腰を上げ、ビルマでの虐殺を停止する手段を講じ始めた。しかし、森喜朗内閣はビルマの虐殺政策を停止しようとする国際社会の動きを止めようとしたのである。

ビルマの奴隷労働が明らかになった

 一九九七年初頭、ジュネーブのILOにビルマ人労働者から分厚い書類が届いた。
 その書類には、ビルマではビルマ国軍が住民を無償で働かせ、道路や橋梁のインフラ整備をやらせており、さらに軍事作戦の過程で住民を無償でポーターとして働かせ、山岳地帯を行軍させ、あるいは地雷原の探査のために住民を歩かせており、無数の住民が命を落としているという実態が詳しく説明されていた。
 ビルマでは一九六二年にネウィン将軍が権力を掌握して以来、労働組合活動は否定されつづけてきた。八九年に現軍事政権が権力を掌握して以来、組合運動への監視はますます厳しくなり、多くの活動家が逮捕され、拷問にさらされてきた。そういった状態にもかかわらず、ビルマ国内の鉄道や港湾を中心とした労働者は、地下活動を続けながら、ビルマ国内の状況を海外に伝える作業を行なってきた。
 海外で亡命活動を余儀なくされている活動家が、それらの情報をまとめる作業を続けてきたわけだが、数年間の努力の結果、やっとビルマで発生している実態をILOに直訴することが出来たのである。

 ILO事務局は、その文書の内容に驚愕し、基準遵守委員会に取り扱いを委ねた。同委員会は、一九九七年ウィリアム・ダグラス卿(バルバドス出身)を委員長とする「ビルマの強制労働に関する調査委員会」を発足させ、ビルマ軍事政権に対し調査協力を要請した。
 しかし軍事政権は「ビルマには強制労働というものはなく、仏教精神に基づいた奉仕活動が誤解されて伝えられている。ビルマで強制労働が行なわれているという言いがかりは、植民地主義者たちによる陰謀である。そのような訪問は問題の解決にはならず、国内問題への干渉である」として、調査団の入国を拒否した。
 ビルマ軍政がILOとの協調作業を拒否したことによって、逆に調査委員会は強制労働が存在することを確信し、ビルマでの強制労働問題が国際社会に広く伝えられ、大きく浮上することになった。

 ビルマ軍政から協力を拒否された調査委員会は、ビルマに隣接する五カ国の国境地帯から丹念に情報を集め、ビルマ国内のあらゆる州、地方の強制労働の詳細を調査した。
 一九九八年、委員会は三百ページ以上にわたる調査報告を発表した。調査報告書には六千ページにわたる証拠書類が添付されている。
 法律の専門家たちによって記録されたこの報告書は、抑制された筆致で客観的に書かれている。しかし、報告されたその内容は正視できないほどの陰惨なものであり、強制労働というよりは、まさしく奴隷労働であるということを詳述しており、世界中を驚愕させた。内容の一部に触れて見よう。

 ビルマ国軍にはゲリラ征伐の名目で、あらゆる行為を正当化することが許される。しかも中央からの給与はほとんどなく、自活を命じられており、食糧や金銭を住民から強奪することが多い。また地方部隊は生き延びるための独自のビジネスを展開しており、住民を軍キャンプの修理、軍農場の維持などに無償で駆り出し、食糧も自前で持参することを強要する。住民たちは自前の食糧の持参に加えて、兵士の食糧の持参も強要されることが恒常化している。強制労働の命令は文書または口頭で行なわれ、拒否した場合は罰金が課せられる。家族の食糧すらままならないので出頭できずにいる者は、逮捕されて罰金を強要されたり、拷問などで殺害されることもある。強制労働はインフラ整備のためにも行なわれ、道路や橋梁の建設を住民に割り当て、補償金は支払われない。強制労働の割り当ては、女性、子どもにもおよび、女性の場合は軍への性的サービスを強要される。強制労働の被害者は一九九〇年以来二百万人を越えると推定される。
 (報告書二〇〇番台に詳述)

 地方の住民は軍による無償の農作業に駆り出され、その間自分の農地の作業が出来なくなる。軍の農地からの収穫物は、兵士の食糧になるだけでなく、市場に販売するものである。また、木材や竹の伐採を命令されることも多く、軍が販売収益を得、住民には配分されない。森林法に違反した伐採がおこなわれた場合は住民が罰せられ、強要した軍が罰せられることはない。
(報告書三〇〇番台後半に詳述)

 都会では各家庭からひとり月に二週間程度の強制労働が割り当てられる。鉄道敷設などのインフラ整備の場合、給与が支払われないことに加えて、現場までの交通手段も提供されない。現金のない労働者は現場まで数時間歩くことを強要される。現場では給与も食糧も与えられず、疲労や事故に対する医療措置も自前を強要され、死亡事故は日常的におきている。
(報告書四一〇番台に詳述)

年間死亡者は一万人以上

 アムネスティ・インターナショナル(本部ロンドン)は、早くからビルマの人権問題に注目しており、ILOの調査報告書が出た直後の一九九八年にはビルマ中北部のシャン州で殺害された民間人の調査報告書を発表している。これは戦闘状態とは無関係に軍によって殺害された民間人を調査したものである。畑で農作業をしていたら突然襲われて銃殺された。軍基地に拉致された少女が輪姦され、その後殺害された。ポーターとしての奴隷労働を強制され、疲労で動けなくなったところを殴打され殺害された。などの事実が延々と続いている。
 調査書には被害者のリストが付記されており、六〇〇人を超す人権侵害による死亡者名、年齢、出身地、死亡原因が記載されている。目に付くのは「強姦されたのち銃殺される」という記載がおびただしいことである。強姦され殺された少女たちの年齢は、十台前半が多く、中には十一歳の少女もいる。
 アムネスティの報告書はシャン州の一部だけに限ったものであるので、ビルマ全体で人権侵害によって殺害されている民間人の数は、地域の広さから考えれば、一年間に千人や二千人では済まないであろう。

 特に軍による人権侵害がおびただしいのは、シャン州、カレン州であり、さらにカヤー州、ラカイン州、カチン州、モン州、テネサリム管区、アラカン州からの人権被害報告も大量に海外に届けられている。
 同じくビルマの人権侵害を調査している反差別国際運動のマーティン・スミス氏は、ビルマ国内で殺害されている民間人の数は、年間一万人を越していると推定している。
 ご承知のように、ビルマは通信、手紙、メディアのすべてが検閲される恐怖政治国家であり、ビルマ国軍に殺害された被害者の声は、各地方の軍のレベルですべて握りつぶされている。もちろんビルマ国営新聞やテレビは大本営発表しか行なわないので、人権侵害の実態は一切報道されていない。
 そういった情報統制の網を潜り抜けて、国際社会に届く実態報告がこれだけあるということは、殺害されながらも泣き寝入りをしている実数は、マーティン・スミス氏の推定の年間一万人をはるかに越えていると考えるほうが自然であろう。

外務省、ILO調査を批判

 ILO調査委員会の報告を受けたILO基準遵守委員会は、当然のごとくビルマ軍事政権に対して、強制労働を直ちに停止し、民間人殺害の被疑者を裁判にかけるよう勧告した。もし、勧告を受け入れない場合は、ビルマに対して初のILO制裁が発動されるという見通しがあることを知った軍事政権は、ILO総会の寸前の一九九九年五月十四日、「緊急時以外の強制労働を禁ずる」との政令を発布した。その結果、昨年のILO総会では、かろうじてビルマ制裁の決定が回避された。
 しかし、この政令は実行されることがなく、ILOの調査委員会は二〇〇〇年に入ってからも強制労働と奴隷労働が継続されているということをキャッチし続けていた。つまり、昨年のビルマ軍事政権の態度は見せかけであったわけである。事態がただならないことを感じたILOは今年五月の総会の寸前に、ビルマ軍事政権に対しILO派遣団の受け入れを求めた。

 軍事政権は、ILOからの制裁を再度回避する必要性を感じ、派遣団の受け入れを決定した。今まで、国連総会を含むさまざまな機関からの派遣団の勧告を無視しつづけたビルマ軍事政権にとっては、入国を受け入れて、レセプションで歓迎して言い訳をすれば事が済むという甘い考えがあった。
 しかし、今回のILO派遣団の態度は、一切の妥協を許さぬ厳しいものだった。ビルマ軍事政権がいい続けている「強制労働は存在しない」とか「ビルマ仏教に基づいた奉仕精神」などという言い訳をする言質を一切許さずに、山のような証拠を突きつけて、奴隷労働の廃止と殺害犯の処罰の方法を具体的に示す事だけを求めた。しかし軍事政権からの明瞭な答えを得ることが出来ずに、派遣団は重大な決意をジュネーブに持ち帰った。
 軍事政権はやむなく、ILOが強権発動をしないように、強制労働の事実を認め、五月二七日、労働大臣の名前で強制労働をなくす措置を取るとの書簡をILOに提出した。

 ここからが大事な点なのだが、ビルマ軍事政権はILO派遣団を受け入れるのと平行して、キンマウンウィン外務次官を日本に派遣し、ILOの制裁決議に反対票を投じるよう要請している。
 ビルマ軍事政権は日本に対するロビーを数年前から、繰り広げており、デイビッド・エーベル経済計画相を中心に、多くの軍政幹部が頻繁に訪れ、日本の要人と接触している。さらに軍政は元民主化活動家であったミャミャウィン、ウィンナイン、トゥンエイの三人の在日ビルマ人を、ロビー工作員兼日本語の専属通訳に指名。日本国内の民主化運動を撹乱したり、ビルマを訪れる要人や国会議員に流暢な日本語で虚偽の情報を流すなどの活動を行っている。この三人のロビー工作は一定程度成功しており、三人が元民主活動家だったことから「ビルマで起こっている問題のすべてはアウンサンスーチーを始めとする反政府派によって起こされているものであり、軍政は問題を解決しようとして誠実な努力をしている」と勘違いしている政府要人や、財界人が数多い。

 キンマウンウィン外務次官の訪問を受けた河野洋平外務大臣は、ビルマ軍事政権に対してILO派遣団との協調を要請したものの、ビルマ側に対して「日本の立場は欧米とは違う」と説明し、ILO総会ではビルマ側を支持し、制裁案には反対票を投じるという約束をしている。
 外務省のビルマ担当職員は河野外務大臣のこの時の会談を受けた新聞記者からの質問に対して、日本がILOの制裁案に反対する理由として、ILO調査委員会の報告書には「適切な情報が欠如している」からだと述べている。
 日本の立場が欧米と違うことはもっともなことであり、アメリカの言いなりになりがちな日本の外務大臣が「日本の立場は欧米とは違う」と発言をすること自体は、歓迎すべきことではある。しかし、軍隊が民間人に対して行なっている奴隷労働や強姦、殺害を事実だと認定している欧米に対して、日本が「事実でない」と考えているならば、その根拠を明白にする義務がある。ILOの専門家による調査結果を覆すには、それなりの覚悟が必要であろう。

 六月九日、四〇カ国からなるILO運営委員会は、ビルマに対する「制裁措置」を圧倒的多数で決議した。決議に反対したのは、四カ国。日本、中国、インド、マレーシアだった。そして、運営委員会決議は一週間後のILO総会で受諾された。
 ILOにとっては始めての制裁決議であり、今後ビルマは世銀やIMFによる融資を受けられなくなると同時に、ユネスコや国連開発計画がビルマ国内で展開している事業も撤退にいたることになる。
 ILOは制裁を決定しながらも、制裁の発動を今年の十一月三〇日から行うとの温情採決を行なっている。ビルマ軍政がそれまでに奴隷労働を廃止し、民間人を殺害した被疑者を裁判にかければ、制裁は回避されることになる。

 ビルマ軍政が奴隷労働を廃止し、被疑者を逮捕するという可能性はほとんどないであろう。国家予算の半分は軍のために使われているものの、この国の予算自体が国家というには程遠いほどの小額のものであり、日本円に換算すれば一千億円をわずかに越える程度である。したがって公共投資などは不可能なことから、国民に銃をつきつけて労働を強制するという方法で、資金を投入すること無しにインフラ整備を行なってきたのである。ILO調査書に記載されている住民への強制労働時間割り当てから逆算すれば、国民ひとりあたり労働時間の二〇%程度を体で国に支払っていることになり、軍事政権はこれらの見えない予算によって成り立っていることになる。ビルマ軍政が強制労働を廃止すれば、ビルマ国軍は権力の維持が不可能なほどの壊滅的な打撃を受ける。さらに殺人を犯した被疑者を逮捕するとなれば、殺害の目的である住民からの収奪を停止せざるを得なくなる。日本円に換算すればわずか百円程度の形だけの給与しかもらっていない下級兵士三十万人が生存できなくなり、各民族ゲリラに投降することになる。
 このままビルマ軍事政権が温存されれば、形だけの軍事国家は存続するであろうが、民間人は同じような割合で殺されつづけ、やがて国家全体が再生不能な打撃に直面するであろう。従って、今、国連が介入しない限り、この国の地獄状態はますます泥沼化するのである。

 インドネシアに対して日本は何もしなかった。そのことで東チモールの住民多くが命を失った。ビルマに対して日本は、軍政を支援する形で、国際世論への対決の姿勢を打ち出した。
 今日もビルマ軍兵士に銃を突きつけられて、兵舎に拉致される少女たちの悲鳴が、各地から聞こえてくる。日本政府はそれらの声を「情報不足」として闇に葬り、救いの手をビルマ国民にではなく、軍政に伸べようとしている。

(了)