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社会

人権とビルマの監獄
2000年9月16日配信 政治囚支援協会

※この文書は2000年9月16日に開かれた「CRPP設立2周年記念集会」に送られてきたものです。なお掲載にあたっては、読者の便宜をはかるためいくつかの段落分けを行い、サブタイトルを挿入しています。

最近のNLD弾圧と監獄問題

 ビルマの人権問題を語るとき、政治犯のこと、彼らが監獄の中で受けている拷問や非人間的なあつかいについてまず取り上げなければならない。さらには、監獄には収容されていないものの、多くの人々が監獄にいるのと変わらない状況に置かれていることも忘れてはならない。政治活動や信念のゆえに解雇される、私宅の電話は切られたり、盗聴されたりする、郵便物は取り押さえられたり、検閲されたりする、警察や関係当局へ出向いて状況報告することを義務づけられる……こうした妨害やおどかしを受けている人たちもまた、ある意味では監獄へ入れられたようなものである。

 ビルマ国民大衆の指導者であるアウンサンスーチー女史とその一行は、党活動の一環として地方への旅行を試みたが、8月24日、ヤンゴン郊外の地点で、軍事政権(SPDC)によって、通行を妨げられた。そして、9日が経過した日の夜明け前、軍は実力を行使して、アウンサンスーチー女史とその一行を無理やりヤンゴンへ連れ戻した。その後、今日にいたるまで、アウンサンスーチー女史とその一行の人たちは、外部との連絡ができず、軟禁状態に置かれている。さらに、軍事政権は国民民主連盟(NLD)本部に踏み込んで捜索したあと、本部を閉鎖して占拠をつづけている。ヤンゴン市や他の地区のNLD支部も捜索をうけ、区や郡のレベルの党の活動家多数が居住地域から離れないようにとの指示を軍事政権から受けている。
 アムネスティ・インタ-ナショナルは、獄中の人たちのほか、自宅に居ても行動の自由を奪われている人たち、一定の地域からほかの地域へ往来することを制限されている人たちも「囚人」にあたると規定している。

 1962年に軍部がクーデターによって政権を奪って以来、ビルマでは平和的なデモを行なっていた学生たちが逮捕され、シッチョーイエ・キャンプにおいて拷問を受けたり、監獄でも信念や考え方を否定させるための拷問を受けることがしばしばあった。こうしたことが外国に知られることはきわめて稀である。
 1988年の8888を中心とする大衆蜂起は、軍部がその醜悪な姿を世界にさらす機会となった。1988年9月18日、軍部が国権を掌握した際にも、デモに参加した人たちをシッチョーイエ・キャンプや監獄に押し込めて、さまざまな方法で痛めつけた。命を奪われた人も少なくない。

 ビルマ情勢については、世界の人々は以前よりも関心を寄せるようになった。とくに軍事政権による人権侵害を知るにつれ、批判は強まってきている。最近起こった出来事も世界の注目を集めた。国民民主連盟(NLD)のテインウー副委員長、アウンサンスーチー書記長らの一行が、党活動のためにクンジャンゴン郡へ向かおうとしたときに、途中のダラにおいて、それより先への通行を妨げられた。一行は厳しい状況のなか、その場所にとどまっていたが、軍事政権は話し合いによる解決を図ろうとせず、例によって力を行使し、一行に手錠をかけて連行した。ティンウーとアウンサンスーチーについては、それぞれの居宅へ軟禁し、ほかのメンバーはインセイン監獄に投獄された。アウンサンスーチー一行が通行を妨げられた8月24日以降、アナン国連事務総長、クリントン米大統領、ブレア英首相ら世界の指導者たちは、事態を平和的な方法で解決すべきであると軍事政権に圧力をかけ、一行の健康状態についての憂慮を表明した。

 わたしたち政治囚支援協会(AAPP: Assistance Association for Political Prisoners)として声を大にして訴えたいのは、ノーベル平和賞受賞者として著名なアウンサンスーチーに対してすら、しかも国際社会が耳目をそばだてている時期であるのに、このような荒っぽい手法を使う軍事政権が、世界の人々の目からは覆い隠されているシッチョーイエ・キャンプや監獄ではどれほどの拷問を行なっているのか、想像するだに恐ろしい事態が進行していると思わざるを得ないことである。
 いくつか例を挙げよう。当時52歳のウー・マウンコーは、1990年10月23日、NLDや僧侶を含む反政府勢力の一斉検挙の際に逮捕された。労働者出身で、NLD最高幹部の一人であったウー・マウンコーは、NLDの並立政府樹立の企みに加わったとされ、裁判手続きもなく、軍情報局のイエチーアイン・キャンプに送られ、拷問を加えられたあげく、11月9日に死去した。
 また、1991年のボーガレイ事件の時にも、軍情報局のシッチョーイエ・キャンプに収容されたカレン人が何人か死亡している。運良くシッチョーイエ・キャンプ出られても、そのまま各地の監獄に送られ、そこでまた長い年月にわたって重労働を科されて、苦しんでいる人が多い。

監獄での過酷な生活

 ビルマ全国に36の監獄がある。そのうちの20ほどの監獄に2500人を越える政治犯が収容されている。監獄では獄吏たちの命ずるとおりの生活が待っている。それは世間の生活とはまったく異なっている。朝五時半、当番役人が「ポンザン!(正座の意味。日本式の正座ではなくあぐらをかくように座り、頭をさげる)」と叫ぶと、直ちに飛び起きて正座をしなければならない。そのまま1時間。正座のかたちが崩れると叱責の声が飛ぶ。
 正座のまま点呼がとられる。8時前には自分の房の清掃を終えなければならない。毛布は決まりどおり折り目をつけてきちんとたたむ。8時過ぎに、飲み水のつぼやバケツ(糞尿入れ)の撤収が始まると、房の扉を背にまた正座。それらが終わると房の扉が開けられる。房には扉が二つあるが、そのうちのひとつが開けられる。その後、さして意味のない作業が命じられる。蝿を追っ払ったり、鉄格子をピカピカに磨いたり、ガラスの破片を使って土を平らにならしたり……。こうした作業は言ってみれば政治犯の自尊心を叩きのめすことが目的で命じられる。10時になると、他の犯罪を犯した囚人によって食事が運ばれてくる。しばしの休息。
 12時を過ぎると、眠かろうと、眠くなくとも房の中で横になるよう命令される。それが午後2時まで。眠くないからと立っていたり、座っていたりするとたいへんだ。脱獄を企てたとして徹底的に痛めつけられる。午後2時から4時まではまた作業。それが終わると水浴びの時間になる。これは一日一度だけ。

 衣類は週に一度だけ洗濯が許される。政治犯の水浴びについては、自分用の飯皿以外は使ってはいけない。その飯皿で一人15回水をすくってかけることが許されている。それではとても水浴びをしたことにはならない。誰もが健康を保もてない。水虫や疥癬になり、それがまたみんなにうつる。
 夕方になると、他の犯罪を犯した囚人を従えた係官がやって来て、房の中に不審物がないか点検する。彼らが捜索を終えて房を出て行くまでまた正座である。次に鍵が開くのは夕食が運ばれてくる時。夕食が済むとまた1時間ほど正座。
 監獄の業務が終了すると、囚人たちは体を伸ばして疲れをいやしながら、しばし語らいの時間が持てる。だからといって、声が大きくなると翌朝ぶん殴られるのは間違いない。夜9時になると、獄吏の「就寝!」という声が響きわたる。同房の者同士の語らいも、隣の房とのおしゃべりも止んで獄に静けさが戻る。

 監獄の朝食はおかゆ。朝10時ごろの昼飯では、ガピィ(魚醤)と豆のカレー煮を飯と合わせて食べる。午後4時ごろの夕食は、飯とガピィのほかにターラボー(本来は肉や野菜の入ったカレン民族のスープ。監獄では大根の葉っぱが入った砂交じりのスープ)がつく。週に一度は特別食として肉一切れが出る。
 監獄で使われる米はビルマ産の米のなかでも最悪と言っていい。砂もまじっている。監獄の規則では、囚人一人につき米24オンス[約680グラム]を供すると定められている。この決まりは守られておらず、それだけの米が供されることはない。また胃病もちの囚人にはとても食べられる食事ではない。
 監獄の役人たちは、囚人たちのために使うものとして割り当てられている予算を、そのとおりに使わず、着服している。囚人に供する食事にしても、まず役人が形式的に調べ、監獄づきの医師が保健上問題はないとしてOKを出している。あたりまえである。
 役人や医師が試食する食事は、実際に囚人に出すものではなく、試食用として別に調理されたものであるからだ。めったにないことだが、国際赤十字のような機関が監獄の視察に来る時には、囚人の食事内容もぐっと良くなる。もちろん、一行が帰ってしまえば、食事もなにも元の状態に戻る。

政治囚への心理戦

 軍事政権は、政治犯の気持ちを萎えさせるために、親族の居る町からはるか離れた場所にある監獄へ計画的に移送している。移送された政治犯は、気持ちが滅入るばかりではなく、差し入れを期待することもできなくなる。心身ともに落ち込む。
 またビルマでは物価は天井知らずで高騰している。だから、獄中の父や母、夫や妻のために食べ物や衣類を差し入れしたくても、経済的な理由でなかなかできない。囚人にとっては、差し入れや面会はつかの間シャバの空気に触れられる貴重な機会なのだが。
 差し入れを受けた囚人は、仲間の囚人たちにわかちたいと思うのだか、獄吏たちがそれを許さない。囚人たちも対抗措置を考える。ただし簡単には行かない。政治犯たちは狭い房に4、5人ずつ入れられている。別の房と連絡をとるのも難しいし、下手をするとたいへんなめに会う。他の房にまで食物を融通しているのがばれると、渡した者も、受け取った者も懲罰にさらされる。糞尿を入れるバケツを洗うことを許されず、臭気まみれになることもある。
 囚人は家族が差し入れてくれる物以外には何も手に入れることはできない。栄養のある食物を口にすることは容易ではない。監獄で出される「死なさない」程度の食べ物で命をつなぎとめるしかない。栄養失調で、あたら命を落とした政治犯の数は少なくない。
 政治犯のなかでもNLDの党員たちはとくにひどいあつかいを受けている。政治犯たちは、いかに拷問に耐え、信念を貫き通すことができるかどうかを試されている。逆に、軍事政権下の監獄の獄吏たちや軍情報局の手の者は、あらゆる手段を駆使して政治犯たちの信念をつき崩し、彼らの人間としての誇りを地に落とそうとしているのである。

(翻訳:田辺寿夫)